歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

すばる掲載記念「果てしなく遠いホームベース」

2014-03-29 21:26:32 | 日記
さてと、、、祖母に「w」の紺色の帽子を買ってもらった孫。
・・・ですがね!!
翌年は、1989年ですよね。古葉監督最終年なわけです。


当時、「プロ野球」そのものに、それほど興味関心なかったわけですが、
なぜだか、「これは見なければならない!」と毎日、
朝起きると新聞で確認したものが、他ならぬ「順位表」
・・・丸一年、一番下でしたよ、ええもう。
すでにこの年、「なんか、とんでもないチームを選択してしまった」
とは思ってました。
当時の親友は「近鉄バファローズ」のファンでしたが、
関東ではファンが多い・・・訳はないですが、
強かったですからね、当時の仰木近鉄。


そんなこんなで、こちらが中学生になるころには、監督は須藤さんへ。
中〇事件とかいろいろありました。
友達から「ロ〇コン球団!」とか言われたとか、言われないとか。
(今でも思いますが、せめてセ・リーグへの復帰は止めて欲しかった)
で、、、その須藤さんが最終年、「沈没船」から脱出されました。
チームは「横浜ベイスターズ」へと衣替えした訳ですが。


「おお、これで一気に強く!」
とかまあ、そんなに甘くはないわな。
「クジラならときたま浮上するが、ヒトデに変えたら沈みっぱなしじゃないか」
ホッシー君みて、そんなネタがありましたよね、当時。


1年目5位・・・そして、例の大量解雇につながりまして。
ベイスターズになって2年目・・・
確か、、斎藤隆の降板判断が遅れ、
投入した盛田が打たれて、最終戦で最下位決定だったような。


いろいろまして、監督は近藤昭→大矢と変わり、
石井⇔進藤のコンバートとか(あれ、いまでも反対ですよ、自分は)
盛田の先発配置転換とか(もっと反対!)
とかあり、ヤクルトと優勝争うで、ファンがゴミをスタンドに投げ入れたりたりとか、
さらにいろいろあって、監督は権藤さんへ。
そして、
そして、




38年ぶりの悲願の優勝成る!!


まあ、その後はその後でいろいろw
「黄金時代」とか「常勝軍団」とかになるとは夢にも思っていなかったけど、
まさかここまでとは!!


しかし、、、あの1998年の優勝直前の時期、
「今年優勝できれば、10年最下位でもかまいません!」
と、、、八百万の神に誓ったので、まあ仕方ないといえば、仕方ないのか?
おそらく、そう思ったファンが全国大勢いたに違いない。
みずしな孝之先生とか、畠山ハッチ先生とかw
国分太一くんもそんなこと言っていたかな?


そんなこと、昨日の大敗のあとに考えまして。
これは、ベイファン全体が背負った「前世の業」であるのかと。
今日はどうにか勝ったらしいですが、
今年もなが~いシーズンが始まるのかと思うと、また顎関節症がw


せめて、22年は長いので、もう少しなんとか。
2020年代のうちになんとかとか!
贅沢?なら、せてて4位とかはw




権藤監督の胴上げ。
この際、罰金ぐらい払うw




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追記
浅田真央選手、世界選手権3度目の優勝おめでとうございます!!
去就は・・・いや、触れまい。
国歌を聞きながら更新をw


智本光隆