何かけっこういろいろな所で先週の、
Q 群馬県とアメリカ人商人・リチャードソンとの取引は本当なの?
というのが話題になってます。ええ、私も聞かれました。
それで・・・
A んな訳ねぇって。あれなんなんさ!
・・・ちょっと上州弁混ぜて応えるとまあ、こんな感じにw
製糸関係者からすると笑えないだろうけど(汗
まず、星野長太郎と新井領一郎の兄弟について。
兄弟は群馬県黒保根村の出身で、
兄の長太郎は明治7年に群馬県初の機械製糸場「水沼製糸場」を立ち上げます。
これより先に藩営前橋製糸所(前橋藩)や、官営富岡製糸場が県内にありますが、
「民間機械製糸場」は県内初です。
この後、ドラマであったように弟の新井領一郎が、
アメリカへの生糸直販ルート開拓の為に渡米します。
これは楫取県令に直談判したように描かれていますが、
内務省支援の「米国商法実習生」に加わってのもので、群馬県は直接関係ありません。
(県としての派遣ではない)
星野兄弟については書くと長くなるので、また回を改めて。
さてドラマでは、
「生糸相場の下落で慌てて底値で契約し、
その後値上がりしたが契約時の取引価格を強行」と描かれていました。
これは概ね事実です・・・・が!!
新井がこの時にリチャードソンと取引したのはあくまで「水沼製糸場」の生糸であって、
県名義で輸出したものではありません。
そもそも、群馬県は生糸の輸出を一括統制はしていない!
ですのでドラマでは、
「群馬県(楫取県令)とリチャードソンの取引」的な描写ですが実際は、
「水沼製糸場とリチャードソンの取引」だったということになります。
楫取素彦を星野長太郎に置き換えると合う感じですかね・・・
(ただ、この時に星野は弟に契約見直しを指示していますが、
新井は自分の名誉と取引の将来のためだと、当初価格を主張。
最終的にはリチャードソンが価格を多少上乗せして決着)
新井領一郎は後に日本を代表する生糸の貿易商になります。
ですが、兄が経営する水沼製糸場はこの当時から経営的には大分厳しかったらしく、
明治32年に閉鎖に追い込まれています。
この辺りのことは、明治の群馬に機械製糸場が普及しなかったことも原因でしょう。
前にも書いたかも知れませんがこの当時の生糸は、
座繰り(農家)→製糸工場(座繰り)→製糸工場(機械)の順で品質に差がありました。
ですので、ドラマでは群馬中の農家、製糸工場から生糸をかき集ていましたが、
そんなことしたら質に天と地ほどの差が出て先方激怒します。
ラストは阿久沢権蔵が足りない分を補填して・・・という流れでしたが、
彼を下村善太郎に置き換えると前橋一の生糸商ですので、
扱う生糸は一等品です。機械製糸場とではかなり差があるような・・・
ただ、下村は自前の製糸工場を持っていたので、
質の釣り合った生糸を選んで提供したのかも知れませんがw
智本光隆