歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

神剣サイトご紹介 その2

2014-03-23 23:34:20 | 神剣の守護者
『神剣の守護者』をご紹介いただいている、

「ヘタレの戯言~ひとりよがり風味~」 
http://tbmg-etc.seesaa.net/article/389074805.html


のご紹介です。
実はデビュー作、『関ヶ原群雄伝』からかかさず、
智本の作品をご紹介いただいています。
まるひげ様、いつもありがとうございます!


北畠はもう少し、書き込みたかったなぁというのが、
作者としても本音です。
山路弾正とかも出番がほしかったですね。


今回は初めてシュミ戦ではなかった訳ですが、
ご満足いただけたなら幸いです。
ちなみに、智本は「三傑」の中では秀吉が一番好きです
・・・ってこれは前にもどこかで書いたようなw


今後とも、智本光隆をよろしくお願いします!



智本光隆

お前はまだ群馬を・・・

2014-03-23 09:52:52 | 日記
知らないかどうかは定かでありませんが、





はい、御開帳!



焼きまんじゅう!!(前橋・原嶋屋)


そう、群馬のソウルフードとしてお馴染みです。
群馬県人以外が口にすると、
何やかんやで死に・・・至りはしませんが。


なお、原嶋屋さんは焼きまんじゅうの本家として有名で、
安政4年(1857)と言われております。
当時は決まった呼称はなく、「みそまんじゅう」「みそ付けまんじゅう」
と呼ばれていたものを、
生糸商人たちが「商売にミソがつく」と口にしていたのを、
当時の原嶋屋店主が「焼きまんじゅう」としたとのことです。


焼きまんじゅうのタレには、
味噌に砂糖を加えた「あっさり系」
水あめをきかせた「濃厚系」
そして、焼きながらタレをぬり燻製させる「原嶋屋系」
などがあります!


・・・とまあ、原嶋屋さんの店内で知ったのですがw


なお、智本光隆は小学校の運動会では、
浅間団→妙義団→榛名団ときて、
赤城になったことがついぞありませんでした。
なお、6回中5回が雨でしたが、
群馬の運動会は土砂降りでも、普通に実施されます。



智本光隆

わたしの逃避術掲載記念「1988年の選択」

2014-03-21 09:06:07 | 日記
明日は3月22日・・・
1月前なら「ササキ様デー」だったな。
・・・とか思うような、思考構造になってしまった。
それが形成されるになる、そんなお話w



さて、祖母に「好きなの選んでいい」と言われた孫。
で、、どうしよう?前に書いた通り、別に野球をやっていたわけでもないので、
この時点での好きな球団、贔屓球団とかないんです。
まず、目に入ったのが黒に「GとY」が組み合わさった帽子。
(あれは、みんなかぶっているからヤダな)
そう考える性格です。厄介な子供だw
そうは言ってもこのころ、「好きな色は青」だったので、
わりと、選択肢は限られています。


ほどなく、目の前に「候補」として並べられたのが、
「ライオンズ」「スワローズ」そして「ホエールズ」
ホエールズ・・・書いていてちょっとこの時点でレトロ感が。。。
記憶が確かなら、この年は1988年の秋の終わりあたり。
他に青系はなかったかな?
今思い出すと、緑も嫌いな色でなかったので、
南海ホークスの帽子もまだ店頭にあった気が。選んでいたら、その後どうなった?


それはさておき!候補を絞って、考えました。
まず、脱落したのが西武。
「イラスト入りがちょっとイヤだ」
・・・すみません、手塚先生。
これを選んでいれば少なくとも数年、黄金時代を満喫できるとも知らずに。


そして、最終候補に残ったのは、、、
「ヤクルトスワローズ」「大洋ホエールズ」の2つ。
繰り返しますが、1988年のお話。
この時点ではどっちもどっちです。
今、両チームの年度別成績表見ながらこれを書いてますが、
しかし、そも野球を知らないで野球帽買いに来ている子供なので。
その時点での成績、チーム事情など知るはずもなく、
ましてや数年後のことなど知るはずもなく。。。


これが一緒にきたのが、祖母ではなく父なら止めたかも知れませんが・・・
・・・いや、止めずに面白がって流すな、うちの父親は。銜え煙草で。


数分悩んだ後、「ちょっとこのWがカッコイイから。他に誰もかぶってないし!」
Wが格好いいのはわかるが、「誰も被っていない」というのは、
色んな意味があるんだと、当時の自分に教えてやりたい。
かくして、12の中からひとつの帽子を選ぶという、
「大選択」を成し遂げて振り返ると、
祖母が5千円札を押し付ける、くだんの場面になるわけですが。
孫は自分が「その長く険しい道」に踏み出したことを、
まだまったく、気づいてもいない。



ところで、そんな祖母はどっかチーム応援してたのかという疑問?
父曰く「いつも巨人戦見てたぞ」
いや、それはそこしか中継ないしさ。
そういえば、祖母宅にカラーバットが転がっていましたが、
「黄色に虎のマーク」でした。
まあ、今となっては不明という他になし。


確実なのは野球より、大相撲のほうが好きでしたね。
贔屓力士が誰だったのか、よく覚えてないんですが、
「贔屓じゃない力士」ならいたような。。。

いつの場所か忘れましたが、千秋楽の勝てば優勝決まるような一番で、
対戦は「千代の富士対双羽黒(北尾)」
千代の富士が一気の寄りを見せると、
そのまま相手は土俵を割り・・・
そしたら、行司より、勝負審判より先に祖母の声が。


「ほら、そこであきらめるからいつもダメなんだよ!!」


・・・いや、おばあちゃん、北尾にも言い分があるんじゃあ・・・
と、子供ながらに、洋菓子食べながらそう思いました。
北尾はその後・・・は書かんでもいいな。

孫が「長く険しい道」に踏み出したこと、
案外、祖母は気が付いていたかも知れません。
でも、止めないか。厳しい選択好きなんですよ、うちのおばあちゃんは。




琴欧洲関、長い間お疲れ様でした。
祖母はどうだか知る術もないですが、
私は好きな力士でした。もう一度、優勝をと思ってました。
白鵬のコメントではないですが、寂しさがありますね。



小説すばる  http://syousetsu-subaru.shueisha.co.jp/



智本光隆

神剣サイトご紹介 その1

2014-03-21 01:35:39 | 神剣の守護者
まちなかキャンパス第2回の資料作成中。。。
頭がやや混乱中・・・いや、後期南北朝は複雑です。
大河ドラマでやった時、「まともにやったら、2年はかかる」
というのが分かるなぁ。


さて、、、ちょっと『神剣の守護者』をお取り上げいただいた、
インターネットサイトなどをご紹介しようかと思います。
まず、


時代伝奇夢中道 主水血笑録 http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2013/12/post-dcfb.html


取り上げていただいたのは、12月なのですがw
実はここで指摘いただいてる、
「正具が剣を渡した相手」については、
結構、いろんな方からご指摘を受けております。

「正具様はホントにあの猿に渡してしまうのでしょうか?」

と聞かれた方もいますよ?
いや・・・猿もあんなに頑張ったんだけど!


結末は・・・もちろん作品の後半にてw
ちなみに、智本光隆はいわゆる「三傑」の中で、
その猿が一番好きですがw




智本光隆

わたしの逃避術掲載記念「祖母の矜持と孫の選択」

2014-03-19 23:31:21 | 日記
「小説すばる」さんのHPが更新されたようなので、
もう一度、紹介を!
智本光隆の「私の逃避術 2036年ベイスターズ優勝?」が「小説すばる」4月号に掲載されています。
それを記念して、今宵は少し、昔語りを致しますせう。


小説すばる4月号 http://syousetsu-subaru.shueisha.co.jp/



・・・そう、それは昭和の終わりを数年後に控えたある日のこと。
当時の普通?の子供らしく、
野球やってるわけでもないのに、プロ野球の「野球帽」がほしくなりまして。
で、、うちの祖母に「ほしい!」と言いました。祖母の返事は「買ってあげる」
祖母は孫には甘かったほうですね。
一部で「孫にしか甘くなかった」との証言もありますが、それはさておきw


そんなで、小学校の制帽もだいぶくたびれていたので、街の帽子屋へと。



まだ健在だったりします。大崎帽子店。


さて、当時の帽子店の店頭には、セ・パ12球団の帽子がずらーと。
「おばあちゃん、帽子、帽子!買っていいよね?」
とか言ったものの、祖母からは「×」のオーラが・・・
で、学校の制帽だけ買って、元来た大通りに。
「なんだ、買ってもらえないのか」とややショゲ気味に、
それでもくっついて歩いていたら、別の帽子屋へと・・・


(残念ながら数年前に閉店して、写真はありません)


そこの店頭にも12球団の帽子があり、今度は「好きなの選んでいいよ」と。
それで大喜びで選んだのが、当時の「横浜大洋ホエールズ」の帽子。
今の横浜ベイスターズですね。
え・・・今はまた違うんだったけ?まあ、それはいい。


とにかく、紺色の帽子を選んで「これがいい!これ!」と差し出す孫。
財布から5千円札を取り出す祖母。
「あ、お代なんて!」と押し返す女性店主。
実はこの店は親戚が経営してました。
そんなことなど、まったく孫は気にもしてないので、
「そうか!この店にくればタダで貰えたんだ。おばあちゃんはスゴイなぁ」
と思っていたら、
「それは別なので!」と押し返された新渡戸さんを、再び押し返す祖母。


・・・・子供には訳がわからない!!


訳は分からないが、この手の押し合いで祖母が敗北したことはついぞなく、
この時も「購入」して店を後にしましたが、
「なんで2件も帽子屋いったんだろう??」
と孫の頭には、消えぬ疑問が。
考えても考えても、まったく答えは出ませんでしたが、
その頭にはおニューの帽子があるし、「まあ、いいや」


ところでこの時、祖母とはまったく関係ないところで、
孫は一生を左右しかねない「選択」をしていました。

「何故、その紺色の帽子を選んだのか?」

すぐにそれがいかに長く、そして厳しい道かを知ることになるのですが、
それはまた、多分明日あたり書くことになる話。






智本光隆