この二つの景色を、私は他の誰かと眺めている。
黄の花の咲いている方は4人の女友達で、白のクローバーが咲いている方は高齢の姉とだ。
だから、確かにその人達の心の中にも、この景色は一瞬かもしれないが留まっている。
けれど、どちらも時はすでに過ぎ去っていて、多分、
いやきっと、それぞれの人の心からは消え去っているに違いない。
雑多な心の移ろいの中で、思い出されることもほとんどないのではないか?
私がカメラを仲間に、そうカメラとセットで出歩くようになったのは、
この消え去る感動をより多く、より永く私の心に留めていたいからであり、
ただその瞬間を留め、続く他の感情を如何ほども組み入れないにもかかわらず、
多くを物語るあの目に一目置いているからでもある。
好きな光景だ。
再びその場所を訪れたとしても等しく出合えはしないが、
こうして眺めれば、蘇る感動に浸れる。
そこがいい。
写真はそこがいい。
そして、
この一連の空気感を正しく、細部まで緻密に共感出来るのは
ファイインダーを覗き込んでシャッターを押した自分のみだという感覚がまたいい。

