又、大切な友人が亡くなった。
2021・01・14、AM10:14、彼は旅立った。
今日の12:00がお葬儀で、家族葬とのこと。
お報せを受けた友人は、
仲間の皆に連絡したが、家族葬・コロナ禍等考慮して
葬儀への参列をほぼ見送る方向で話しているらしい。
後日、お家にご挨拶に出向こう。と、伝えた後で、
奥さまが、
「最後の顔を見に来てやって下さい。」と、おっしゃったと話す。
彼にはすでにご両親は無く、
ご兄弟の弟・妹さんにも先立たれていて、
家族葬となると、
奥さま・子供さん三人・孫さん二人が近親者だが、
その内、孫さんのみえる家族は熊本在住、
孫さんのひとりは生れたばかりで、
その母子の参列はむずかしいのでは?
考えてみれば、
最近の葬儀の通例は、故人にとっては淋しい形態。
葬儀だから、
賑やかにと言うのもおかしいが、
せめて故人の生前の在り様に見合う送り方を思うが、
世の中は合理的ばかりに傾き、時に辛い。
彼は、
定年後の臨時期間を含めて半世紀に亘り、高校教師を務めた。
職を離れたのは、癌に侵されたほんの数年前で、
よく働いた人である。
奥さまにお聞きしてからでないとはっきりしたことは言えないが、
「膀胱癌」がその始まりで、
転移することはあり得ないと医師が首をかしげる
「多発性骨癌」にも見舞われ、
ここ2、3年は入退院を繰り返して見えた様子。
山野散策が趣味で、
仲間うちでも同じ傾向の私ら数人とは気の合うところもあって、
何度かご一緒した。
良い仲間の一人を失って残念だが、
私を評しての彼は、
「仲間の中で、あなたが一番長生きするだろう。
あなたは、ストレスをエネルギーに変えるタイプだから。」
と言っていたから、
彼の教師生活半世紀の評価能力がパーフェクトなれば、
私はまだ13~14名ばかりの仲間を
今日のような気分で送らねばならない。
もうじき、彼の葬儀が始まる予定の時刻だ。
合掌。