今週の月曜日だったか。HEROというドラマがやっていた。身近に木村拓也に
心酔するヤカラがいるので、つられて見てみた。
以前の物語も見たことがあったので、大よその設定は知っている。
報道に関してフジテレビに見るべきものは何もない。それは腹が立つ程だが、
ドラマを創らせると上手いねぇ。キャストも良かったのかな。「北の国から」的
な素朴さと、都会風な世知辛さ、勧善懲悪、甘くはない現実、それらを絶妙の
バランスでミックスさせていたね。
という訳で、この物語には大満足しておりまして、充実した2時間でした。
何がそんなに良かったんだろう?
HERO=英雄・・・
あれ?
『英雄』って、生きている人でもなれるんだっけ?
過去の人物、その人の生前の功績を、後代の人が評価して贈る尊称じゃな
いの? 生きていたら、その先にどんな悪いことをするか分かんないし。
ま、生きながらにして「国家の英雄」という人がいる気もするので、別にいい
のかな。でもさ、なんか恣意的だよね、こういうのって。
さてさて。
人を、それも生きている人を、『英雄』扱いする訳だから、もう少し掘り下げて
もいいだろう。
木村拓也が扮する主人公、彼の英雄的要素とは何だろう。
学歴に囚われず、自らの意思に従って資格を取得したところか。
検事の「被害者の味方」という本質を貫くからだろうか。
自分が納得するまで諦めないというスタイルなのか。
どれもこれも「かっこいい」と思う。でも、英雄=かっこいい ではない。英雄
にとってかっこいいことは、必要な要素だろうが充分条件にはならない。
そもそも、当事者に利害が対立する者が含まれれば、一方からしかかっこ
よく無いはずだ。
などと考えていたら、一つの結論に至った。
『架空』の人物であることがミソなのだ、きっと。
実在の人間ではないので、そもそも生きていない。彼は、脚本以上のことは
しないので、予想外の悪いことはしない。現実の利害関係も無いし。なので、
最初から『英雄』であっていいということ。
そして、現実の世界で諦めていることへの挑戦、即ち、
我々が何時でも強いられる妥協というものが無く、
弱者を攻撃することで多数を守ろうとする社会システムに反発し、
学友同期等の同類項的な帰属意識が不要な強い精神力を持つ、
これらへの憧れを描いているのさ。
フィクションに求められる要素そのものだね。大多数の憧れを架空の世界で
具現化すること。
それだけのことなんじゃん。
おいらの掘り下げは浅い・・・。
もっと面白いこと書けないものかなぁ。
限界なのでしょう。
いやいや。
訓練しなきゃ!


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