変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




広島の黒田投手が、FA権を取得しながらカープ残留を決めた。
球団とファンの情熱に押され、そんなチーム相手に他チームのユニフォーム
を着て投げている自分の姿が想像できなかったという。

男気(おとこぎ)があるじゃない。
とてもかっこいいと思うし、その姿勢は賞賛したい。感動した。

ではここで、いったい何に感動したのかを少し掘り下げてみたい。

例えば金本。素晴らしい選手で、今やタイガースに無くてはならない存在だ。
黒田と対比して、金本を否定する?
選手の振る舞いや決断について、周囲がとやかく言っても始まらない。彼は
彼で最良の選択をしたのだし、結果も残している。カープファンとしては合点
の行かぬ部分もあろうが、タイガースファンは感謝している。

自分を育ててくれた球団、自分の活躍による球団への貢献、こういった情の
世界においらなんかは感動してしまう。球団と選手、両者が持ちつ持たれつ
の関係あることが、とても素晴らしいことに見えるからだ。世の組織と個人も
そういう関係でありたいものだ。いいサイクルだ。
もう少し視点を上げてみよう。
組織への恩返しというのは、自分の能力を他で発揮する、という形でもいい。
その組織から出て行ってしまうかもしれないが、逆も然り。要は、その組織が
プレイヤーにとって魅力があれば、自ずと人は集まる。全方位的な魅力という
のはムリだから、価値観が一致する人を集めればいいのだ。
組織内を超えて、業界とか社会とか、広い視野で人が循環すればいい訳だ。

さて、今のプロ野球。
その仕組みは、人の循環に寛容だろうか。
プレイヤーである選手に、各々の球団は魅力を提供できているだろうか。
球団単身のハナシでは小さ過ぎる。球界として、そしてその中の一員として
の球団。

考えるべきことが多いのが現状だ。

ファンは、評論家なのだろうか。当事者なのだろうか。
日本のプロ野球を成立ならしめている存在、という意味で、当事者である。
ならば、上述の評論で終わってはならない。
考え、声を上げねばならない。

果たして、カープという組織の一員であることを選んだ黒田。
カープ相手であっても敢えて全力プレーすることで応える金本。
どちらの選択が相応しいと言えるか?

結論は自明で、双方とも正しい。その正しさは結果によらない。真剣に考察
した後に得た結論は、それでいいのだ。

最後に、メジャーに行こうとする井川について。
プロ野球を存続さしめる為の仕組みとして考えた場合、メジャー行きはあって
いい。色んな道が用意されているべきだ。
そうなると、問題の本質はポスティングシステムなのだろうか。
はたまたFA権が取得できる時期の問題なのだろうか。

おいらは後者だと思う。
1年契約でいいじゃない。新人だろうと何だろうと、FAは選手が生まれ持った
権利でいいじゃない。
金持ち球団に人が集まるからダメ?

本当にそうだろうか?

観客の動員を人気球団に頼っているとの批判を聞くが、頼っているどころでは
ない。心も預けてはいまいか。自立して健全な組織同士でなければ、球界は
支えられまい。

敢えてはっきり言う。
我がタイガースとて、所詮は巨人を中心とした仕組みの傍流でしかない。
パ・リーグは何らかの答えを出したかもしれない。少なくとも考えている。
まずはファンから、現在が危機的状況であることを、自らのこととして受け止め
ねばならない。勿論、おいら自信の話である。


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