A・E・コッパード著『郵便局と蛇』に収められている10篇の短編は、物語性を重視した古風な手法と晦渋な修辞、登場人物の古典的なセリフが、まるで近代に蘇った神話のように神秘的な印象だ。オールド・ファッションと評されているらしい。
コッパード作品の中では、神話や民話の世界と日常世界とが奇妙に入り混じっている。『郵便局と蛇』の世界を食い尽くす蛇の住む沼と、中年女が局長を務める威厳を欠いた郵便局。『辛子の野原』の世界の終わりのような寂寞とした野原と、延々とお喋りを続ける中年女たち。不可解な取り合わせに、立っている地面が揺らぎ、世界が裂けるような不安を覚えてしまう。
人物設定や物語の構成が破綻している訳でもないのに、作者の意図が読めない。コッパードの作品世界は、まことに風変りで単純な判断を下せないのだ。
以下が収録作。
コッパードの作品は、キリスト教に関わるもの、村を舞台にしたもの、恋愛小説的なもの、ファンタジー、の四種に大別できるようである。作品の選択には、あまり偏向が無いように心がけたと編訳を手掛けた西崎憲氏は記している。
Silver Circus『銀色のサーカス』
The Post Office and the Serpent『郵便局と蛇』
Simple Simon『うすのろサイモン』
The Fair Young Willowy Tree『若く美しい柳』
The Field of Mustard『辛子の野原』
Polly Morgan『ポリー・モーガン』
Arabesque: The Mouse『アラベスク 鼠』
The Drum『王女と太鼓』
A Little Boy Lost『幼子は迷いけり』
Marching to Zion『シオンへの行進』
収録作の中では、『ポリー・モーガン』が比較的わかり易かったように思う。死霊との恋は、幻想小説としては王道のテーマだろう。とはいえ、死霊の描写の不明確さ、死霊とその恋人との関係の不可解さ、主人公の婚約者の死の理由の曖昧さ、主人公と婚約者の関係の希薄さなど、薄靄を介す様な雰囲気はコッパードらしいと言える。
《コプスンという上品で可愛らしい農村。30歳になるポリーは、アガサ叔母の屋敷でその夏を過ごしていた。アガサ叔母は60歳の老嬢だが、上品で小ざっぱりとしていて美しかった。
村の農場主・ローランドが死んだ。彼の遺言通り、葬列には誰も参加せず、花を手向ける者も無かった。しかし、遺言のことを知らないアガサ叔母は、ローランドを気の毒に思い、墓に花を手向けてしまう。そのことで、村の中に妻子持ちのローランドとアガサ叔母との仲を疑う噂が飛び交った。
そんなアガサ叔母の部屋を毎晩窓から訪ねて来る者がいるらしい。ローランドの幽霊なのでは、と不安になったポリーは婚約者のジョニーに相談し、訪問者が入って来られないように壁の蔦を切り、窓に楔を挟んでしてしまうのだが……。》
ローランドについては、容姿も性格も説明がない。その不在感が返って彼の存在感を際立てている。生前のローランドがどんな人間だったかは問題ではなかった。彼の容貌とか、生前にアガサ叔母とどんな親交があったかとかは、どうでも良かったのだ。幽霊との恋が教会的に不適切であることも、勿論どうでも良かった。
美しい老嬢と幽霊とのロマンティックな恋。しかし、“ヘスぺリスの園”は、己の常識が絶対だと信じて疑わない者たちによって無慈悲に破壊されてしまった。アガサ叔母は、“あのひと”からの合図が無くなったことを嘆きながら死んでいった。
アガサ叔母の気品に対する、前半でのポリーのくすんだ印象はどうだろう。しかし、ポリーはアガサ叔母とジョニーを失ったことで、物語のヒロインにふさわしい品格を得た。故にこの物語のタイトルは、『アガサ』ではなく、『ポリー・モーガン』で良いのだろう。
アガサとローランドの深い愛情関係に対して、ポリーとジョニーの関係の薄さが不気味だ。愛を誓い合い、昼も夜も一緒にいたというのに、ジョニーが死んだら彼の面影など忽ち記憶から薄れてしまう。彼は不運なだけだった。彼の姿を思い出すことも出来なければ、彼が自分にとってなんだったのかもわからない。そこにはどうしようもない空白があると感じている。
では、毎晩、一人の部屋で二人分の食事を用意して、誰を彼女は待っているのだろう?空白を突き抜けて神聖な場所に辿り着こうとする時、隣に誰がいると思っているのだろう?物語の前半では地味で通俗的だった彼女が、一人取り残されたのち、心の内に深淵を抱く陰影の濃い存在になった。本人さえも訝しんでしまうような奇怪な心模様と、深く甘い虚無が読後も長く心に残った。
巻末の訳者による「A・E・コッパードについて」は、非常に役に立つ内容だった。コッパードが歩んだ人生と小説家になった背景、その時々に愛読した詩や小説が記されていて、彼の好みの傾向を知ることが出来た。
1878年、田舎町フォークストンにて、労働者階級の父母の間に生まれ、9歳で父を喪ったコッパードの幼少期は恵まれたものではなかった。生活は赤貧状態で、一家は教会の慈善活動や貧民救済委員の助けを借りなければならなかった。コッパードも10歳の時から、リヴァプールの叔父の元に厄介になりながら働いた。
17か18の時に古本屋でキーツの『つれなき美女』に出会って以来、詩の虜になった。27歳でオックスフォードにて所帯を持った頃、詩と芸術に優れた感覚を持つ学生たちと交流も持つようになる。労働者として職を転々としてきたコッパードは、ここで初めて同好の士に出会ったのだ。しかし、教養の差から10歳も年下の学生たちの議論の内容が理解できない。学生たちは詩を読むだけでなく、書くことが出来た。そして、彼らの詩は雑誌に掲載されていた。コッパードのグループにはイエイツも顔を出していた。
コッパードは奮起した。
1916年、小説『交わり』が『ヴァーシティ』に発表された。翌年には『エゴイスト』に詩が掲載された。その時の同誌の編集長はエリオットだった。
1919年3月、勤務先の鉄工所を辞め、小説家として生きていくことになる。オックスフォード近郊のシェパース・ピットにコテージを借りた。この地で触れた自然は、彼に様々なインスピレーションを与えた。出版社に原稿を送っては送り返される日々を経て、1921年初めての短編集『アダムとイヴとツネッテ』が出版された。『アダムとイヴとツネッテ』は高い評価を持って受け入れられ、1922年には第二短編集『クロリンダは天国を行く』が出版され、同様に高い評価を受けた。以来、短編作家として活動をつづけ、1957年、79歳でこの世を去った。
西崎氏は「コッパードの初期の短編集が評価も高く、しかもある程度売れたという事実には、ある種の驚きを感じずにはいられない」と述べているが、私も同感である。それほど、コッパードの作品は、デリケートで解釈が難しいのである。
コッパードは自分の書くものをstoryとは言わずtaleと言った。貧しく十分な教育を受けることが出来なかったコッパードにとって、folk taleは精神の支柱であり、詩の源泉であったのかもしれない。本書に収められた10篇からは、folk taleへの切実な愛情があふれている。
イギリスには、ブレイク、キーツ、トマス、ロレンスなど労働者階級出身の詩人・作家が数多くいる。彼らは殆ど独学で、先人の文学を独自の解釈で読み、創作の糧としてきた。繊細な作風からは意外なほど強靭な精神力の持ち主だったのである。コッパードも彼らの眷属だ。オックスフォード大学やケンブリッジ大学出の作家とは一線を画す孤高の作家として、メジャーではないが安定した支持を得ているのである。
コッパード作品の中では、神話や民話の世界と日常世界とが奇妙に入り混じっている。『郵便局と蛇』の世界を食い尽くす蛇の住む沼と、中年女が局長を務める威厳を欠いた郵便局。『辛子の野原』の世界の終わりのような寂寞とした野原と、延々とお喋りを続ける中年女たち。不可解な取り合わせに、立っている地面が揺らぎ、世界が裂けるような不安を覚えてしまう。
人物設定や物語の構成が破綻している訳でもないのに、作者の意図が読めない。コッパードの作品世界は、まことに風変りで単純な判断を下せないのだ。
以下が収録作。
コッパードの作品は、キリスト教に関わるもの、村を舞台にしたもの、恋愛小説的なもの、ファンタジー、の四種に大別できるようである。作品の選択には、あまり偏向が無いように心がけたと編訳を手掛けた西崎憲氏は記している。
Silver Circus『銀色のサーカス』
The Post Office and the Serpent『郵便局と蛇』
Simple Simon『うすのろサイモン』
The Fair Young Willowy Tree『若く美しい柳』
The Field of Mustard『辛子の野原』
Polly Morgan『ポリー・モーガン』
Arabesque: The Mouse『アラベスク 鼠』
The Drum『王女と太鼓』
A Little Boy Lost『幼子は迷いけり』
Marching to Zion『シオンへの行進』
収録作の中では、『ポリー・モーガン』が比較的わかり易かったように思う。死霊との恋は、幻想小説としては王道のテーマだろう。とはいえ、死霊の描写の不明確さ、死霊とその恋人との関係の不可解さ、主人公の婚約者の死の理由の曖昧さ、主人公と婚約者の関係の希薄さなど、薄靄を介す様な雰囲気はコッパードらしいと言える。
《コプスンという上品で可愛らしい農村。30歳になるポリーは、アガサ叔母の屋敷でその夏を過ごしていた。アガサ叔母は60歳の老嬢だが、上品で小ざっぱりとしていて美しかった。
村の農場主・ローランドが死んだ。彼の遺言通り、葬列には誰も参加せず、花を手向ける者も無かった。しかし、遺言のことを知らないアガサ叔母は、ローランドを気の毒に思い、墓に花を手向けてしまう。そのことで、村の中に妻子持ちのローランドとアガサ叔母との仲を疑う噂が飛び交った。
そんなアガサ叔母の部屋を毎晩窓から訪ねて来る者がいるらしい。ローランドの幽霊なのでは、と不安になったポリーは婚約者のジョニーに相談し、訪問者が入って来られないように壁の蔦を切り、窓に楔を挟んでしてしまうのだが……。》
ローランドについては、容姿も性格も説明がない。その不在感が返って彼の存在感を際立てている。生前のローランドがどんな人間だったかは問題ではなかった。彼の容貌とか、生前にアガサ叔母とどんな親交があったかとかは、どうでも良かったのだ。幽霊との恋が教会的に不適切であることも、勿論どうでも良かった。
美しい老嬢と幽霊とのロマンティックな恋。しかし、“ヘスぺリスの園”は、己の常識が絶対だと信じて疑わない者たちによって無慈悲に破壊されてしまった。アガサ叔母は、“あのひと”からの合図が無くなったことを嘆きながら死んでいった。
アガサ叔母の気品に対する、前半でのポリーのくすんだ印象はどうだろう。しかし、ポリーはアガサ叔母とジョニーを失ったことで、物語のヒロインにふさわしい品格を得た。故にこの物語のタイトルは、『アガサ』ではなく、『ポリー・モーガン』で良いのだろう。
アガサとローランドの深い愛情関係に対して、ポリーとジョニーの関係の薄さが不気味だ。愛を誓い合い、昼も夜も一緒にいたというのに、ジョニーが死んだら彼の面影など忽ち記憶から薄れてしまう。彼は不運なだけだった。彼の姿を思い出すことも出来なければ、彼が自分にとってなんだったのかもわからない。そこにはどうしようもない空白があると感じている。
では、毎晩、一人の部屋で二人分の食事を用意して、誰を彼女は待っているのだろう?空白を突き抜けて神聖な場所に辿り着こうとする時、隣に誰がいると思っているのだろう?物語の前半では地味で通俗的だった彼女が、一人取り残されたのち、心の内に深淵を抱く陰影の濃い存在になった。本人さえも訝しんでしまうような奇怪な心模様と、深く甘い虚無が読後も長く心に残った。
巻末の訳者による「A・E・コッパードについて」は、非常に役に立つ内容だった。コッパードが歩んだ人生と小説家になった背景、その時々に愛読した詩や小説が記されていて、彼の好みの傾向を知ることが出来た。
1878年、田舎町フォークストンにて、労働者階級の父母の間に生まれ、9歳で父を喪ったコッパードの幼少期は恵まれたものではなかった。生活は赤貧状態で、一家は教会の慈善活動や貧民救済委員の助けを借りなければならなかった。コッパードも10歳の時から、リヴァプールの叔父の元に厄介になりながら働いた。
17か18の時に古本屋でキーツの『つれなき美女』に出会って以来、詩の虜になった。27歳でオックスフォードにて所帯を持った頃、詩と芸術に優れた感覚を持つ学生たちと交流も持つようになる。労働者として職を転々としてきたコッパードは、ここで初めて同好の士に出会ったのだ。しかし、教養の差から10歳も年下の学生たちの議論の内容が理解できない。学生たちは詩を読むだけでなく、書くことが出来た。そして、彼らの詩は雑誌に掲載されていた。コッパードのグループにはイエイツも顔を出していた。
コッパードは奮起した。
1916年、小説『交わり』が『ヴァーシティ』に発表された。翌年には『エゴイスト』に詩が掲載された。その時の同誌の編集長はエリオットだった。
1919年3月、勤務先の鉄工所を辞め、小説家として生きていくことになる。オックスフォード近郊のシェパース・ピットにコテージを借りた。この地で触れた自然は、彼に様々なインスピレーションを与えた。出版社に原稿を送っては送り返される日々を経て、1921年初めての短編集『アダムとイヴとツネッテ』が出版された。『アダムとイヴとツネッテ』は高い評価を持って受け入れられ、1922年には第二短編集『クロリンダは天国を行く』が出版され、同様に高い評価を受けた。以来、短編作家として活動をつづけ、1957年、79歳でこの世を去った。
西崎氏は「コッパードの初期の短編集が評価も高く、しかもある程度売れたという事実には、ある種の驚きを感じずにはいられない」と述べているが、私も同感である。それほど、コッパードの作品は、デリケートで解釈が難しいのである。
コッパードは自分の書くものをstoryとは言わずtaleと言った。貧しく十分な教育を受けることが出来なかったコッパードにとって、folk taleは精神の支柱であり、詩の源泉であったのかもしれない。本書に収められた10篇からは、folk taleへの切実な愛情があふれている。
イギリスには、ブレイク、キーツ、トマス、ロレンスなど労働者階級出身の詩人・作家が数多くいる。彼らは殆ど独学で、先人の文学を独自の解釈で読み、創作の糧としてきた。繊細な作風からは意外なほど強靭な精神力の持ち主だったのである。コッパードも彼らの眷属だ。オックスフォード大学やケンブリッジ大学出の作家とは一線を画す孤高の作家として、メジャーではないが安定した支持を得ているのである。