青い花

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河内山宗俊

2015-12-16 06:11:34 | 日記
『河内山宗俊』は1936年の日本映画。監督は 山中貞雄 。脚本は 三村伸太郎 。主演は河原崎長十郎(4代目)。 物語のベースとなっているのは、講談『天保六花撰』と、それを歌舞伎にした『天衣紛上野初花』。原節子が出演した映画で、フィルムが現存する最古の作品としても有名である。

《ヤクザの用心棒・金子市之丞(中村翫右衛門)。彼は親分の縄張りで商売をする屋台からの所場代の徴収も請け負っているが、甘酒売りのお浪(原節子)だけからは、金を取ることを断っている。お浪に好意を寄せているのだ。

河内山宗俊 (河原崎長十郎(4代目))もお浪を好ましく思っている。
宗俊は、家の二階で賭博場を開き、一階では女房・お静に飯屋を任せている。お浪の弟・広太郎は道を踏み外しかけており、毎晩のように宗俊の賭場に通っている。お浪は弟を迎えに度々宗俊の許を訪れるが、広太郎は直次郎という偽名を使っているので、宗俊には誰の事だか解らない。そして、解らないまま、イカサマ将棋をきっかけに親しくなった直次郎(広太郎の偽名)に目をかけてやるようになっていった。

金子は、顔なじみの侍・北村から「主君から拝領した小柄を広太郎に盗まれたので、取り戻すのを手伝って欲しい」という相談を受ける。
しかし、金子はお浪に累が及ぶことを嫌い、「腹を切るしかありませんな。53まで生きれば十分でしょう」と受け流してしまう。

ちょうどその頃、小柄はセリに出されて、10両で落札されていた。
北村はお浪の元を訪れ、「3日待ってやる。それまでに小柄を返さなければ、奉行所に訴える」と宣告して帰って行った。お浪は心配するが、金子は「向こうも表沙汰にしたくはないだろうから、訴えられる心配はないだろう」と彼女を宥めた。
北村は、小柄を競り落とした侍から、それが自分の小柄とは気がつかないまま、盗まれた小柄の代わりにするために30両で譲り受けていた。

広太郎がとんでもない過ちを犯した。
ヤクザの配下の女郎屋から幼馴染の女郎を連れて逃げたのである。二人は、広太郎を可愛がってくれている宗俊の許に匿ってもらうつもりであったが、宗俊はお浪の怪我をきっかけに親しくなった金子と出かけており、不在だった。応対したお静は、宗俊がお浪に好意を持っていることに怒っているので、広太郎がお浪の弟であることを確認すると、すげなく追い返した。

進退窮まった二人は心中を決意し、大川に飛び込んだ。
広太郎は助かったが、女郎は死んでしまったらしい。女郎屋のヤクザがお浪の元に押しかけてきた。お浪は広太郎を隠し、「弟は最近家に寄りつかないので、居場所はわかりません」と言い張るが、ヤクザは若くて世間を知らないお浪に「あの女郎には三百両掛かっている。三百両は大金だから、体ととっくり相談しろ」と吹っかけて帰って行った。
お浪は身売りを決意し、家を出た。

事情を知った宗俊と金子は、お浪を救うために詐欺を働くことにした。
高僧に扮した宗俊が立派な篭で北村の主君の屋敷に乗り込んで、盗まれた小柄をネタにまんまと三百両の入手に成功したのである。しかし、詐欺がばれるのは時間の問題だった。宗俊の身に危険が迫っていた。

宗俊の賭場にヤクザたちがやってきて、「広太郎を出せ」と騒いだ。
お静は切られ、宗俊・金子・広太郎の三人は、溝の中を通って逃げる。しかし、直ぐさま見つかり、溝の中で戦いが始まった。敵の盾になっていた金子は、前後を挟まれ切られてしまう。
宗俊は、広太郎に金を渡し、お浪が身売りしたのが品川の相模屋であることを教えて逃がし、背中でバリケードを支えながら、広太郎が逃げ延びるための時間を稼いだ。そして、隙間から差しこまれた刃で命を落としてしまう。
広太郎だけが、朝ぼらけの中を姉の許へと走っていく姿が映されて、終幕。》

山中貞雄については、まず構図の美しさを讃える声が多い。本作『河内山宗俊』は、『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』や『人情紙風船』と比べると、知名度や評価は低いが、それでも、驚くほどの奥行と物語を感じさせる画には目を奪われる。

例えば、広太郎と女郎が心中する場面。
柳に月の薄曇り。次のショットは項垂れた女郎。切り替えされたカメラに広太郎が映される。次は杭が出ている水面に映る月影。 その次は、二人が大川の橋の手前にいる全体図。女郎が「死ぬ覚悟は出来ている」と語ると、広太郎が近づき「それなら俺も一緒に死ぬ」と言い出す。すると女郎は立ち上がり、「お浪さんに悪い」というが、広太郎は「姉さんの事はどうでも良い」と言い返す。そこでいきなり柳の並ぶ川岸を歩く二人の男たちを映すと、バシャンという水音が続けざまに二度聞こえて、驚いた二人の男たちが何が川に落ちたのかを見にいく。 その後は、水面に何かが落ちて沈んだ波紋だけを映し出す。これだけで、広太郎たちが身投げをしたことがわかる。

それから、弟を探し歩いたお浪が帰宅後、屋内に弟がいるのを見つける場面。
お静に罵られ、半泣きで家に戻るお浪。項垂れながら入って来る姿。奥に人影があるのに気付く。広太郎が裏庭の縁側で背を丸めている。もう一度カメラが切り替えされて、奥の部屋との敷居で弟がいるのを喜ぶお浪が映し出される。またカメラが切り替えされ、無表情の広太郎が振り返る。そのままお浪は広太郎の前に座り、にこやかに話し掛ける。裏庭の物干しに濡れた男物の着物が干されている。説明が無くても、広太郎だけが助かったことがわかる。

そして、雪の降る場面。
項垂れて畳に手をつく広太郎を手前に、縁側にお浪が立ったまま横顔を見せて障子に凭れている。さらにその奥に雪がちらちらと降っている。時折、紙風船で遊ぶ近所の子供の姿が映される。
一連の流れには夾雑物が一切なく、息を呑むような美しさだ。

山中貞雄は1937年に中国に出征、28歳の若さで戦病死している。20本以上の監督作品のうち全編が現存しているのは、この『河内山宗俊』と、『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)、『人情紙風船』(1937)の3本だけ。隙のない脚本と含蓄に富むセリフ。生きることに倦み擦れた人間の持つ、無垢な者への慈しみと憧憬。ユーモアの底に社会のグレーゾーンに生きる人々の哀感が潜んでおり、これが27歳の青年の作品なのかと驚嘆する。長生きしていれば、小津クラスの名監督として讃えられたであろうに、と残念でならない。
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