青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

美女と竹林

2017-05-11 07:10:36 | 日記
森見登美彦著『美女と竹林』

竹林を刈ることをテーマとしておきながら、竹を刈っている描写はあまりない。如何に竹林を刈らずに連載を終えるかに挑戦しているかのようにさえ思える(挑戦という言葉は登美彦氏に似合わないけれど)。
それにしても、これをエッセイと呼んで良いものだろうか。
虚実入り乱れるというより八割は虚と言っても過言でない、果てしなき妄想のアクロバットである。すべては机上の妄想で、実際には竹など一本も刈ってないのかもしれない。


連載中の『夜は短し歩けよ乙女』の執筆に行き詰った登美彦氏は、今後の小説家人生に不安を覚え、副業を持つことを画策する。

「これからは竹林の時代であるな!」

天啓を得た登美彦氏は、京都の西、桂へと向かった。
職場の先輩・鍵屋さんのご尊父が所有する竹林の手入れを取っ掛かりに、竹林ビジネスに乗り出すためだ。MBC(モリミ・バンブー・カンパニー)のカリスマ経営者となり、竹林成金を目指すのである。これからは竹男(Bamboo Boy)の時代なのだ。

相棒は大学時代からの友人・明石氏だ。
明石氏は司法試験を控えている身でありながら、登美彦氏の見切り発車に付き合ってくれる大人物である。また、彼は「竹を刈るのに何の意味があるのか」と問わない素晴らしい感性の持ち主でもある。

登美彦氏の「竹林伐採に関する計画書」は以下の数か条から構成されている。

一・竹林を偵察する。
二・枯れた竹を選び出して、人斬りの様に切りまくる。
三・適宜休憩をはさんで清談にふける。
四・倒した竹はいくつかに切り分けて、やるせない過去の想い出とともに脇へ置いとく。
五・かぐや姫を見つけたら警察へ知らせる(相性が良ければ求婚)。

この先、このエッセイ(?)は、主に三によって展開していく。
果たして登美彦氏は、竹林ビジネスの成功者となれるのか?そして、「美女と竹林は等価交換の関係にある」という持論の証明は果たせるのか?


竹は根で増える。
根が繋がっている限りは、竹林は全部一つの生き物だと言って良い。己の周りには見渡す限り乱立する己だけなのだ。人間のように母親と父親の遺伝子がシャッフルされて新しいものを作ることはない。何処までも純粋な己のみ。まるで登美彦氏の妄想のようである。
竹というお題一つで、よくもまあ、ここまで妄想を乱立出来るものだと感心する。しかも一つとしてためになる話が無いのである。役に立たないことに脳みそをフル回転させる姿は、子供の様に純真で好ましい。あっちこっちに乱立する妄想に心地良く振り回されているうちに、この作品がどこに着地するのかなんて些細なこと、気にする方がおかしいのだとすら思えてくる。

百裂拳の如く繰り出される竹妄想の中で特に素敵だったのが、「机上の竹林」だ。
自室に居ながらにしてお手軽に竹林の賢人を気取れるシステムを作りたい――それしかもう、自分が大学院においてなすべき仕事はないと考えた登美彦氏は、竹の培養に取り組んでみたのだ。
栄養分と植物ホルモンを混ぜた培地を滅菌して、三角フラスコや試験管に入れる。そこへ消毒液につけて滅菌したタケノコのかけらとか、竹の芽とかを載せる。そうして温かくしておく。あとは毎日点検しつつ、変化を観察する。
まるで『ロクス・ソルス』みたいな発想だ。しかし、残念ながら実験は成功しなかった。
竹は民家の庭に直植えしてはいけない植物の代表格。「我が家に涼しげなミニ竹林を」などとうっかり夢見て数本植えようものなら、忽ち辺り一帯を侵食し、ご近所さんから苦情が来る環境破壊植物である。その生命力旺盛な竹が、フラスコの中に入ると打って変わっておとなしくなるのだ。雑菌ばかりが増え、肝心の竹は分裂も増殖もしてくれないのである。何だかよくわからないが、生命の神秘を感じる。そして、日本人の遺伝子には小さきものを愛でる感性が標準装備されていることを実感する。

肝心の美女(かぐや姫或いは未来の嫁)はいつ現れるのか、という件についてだが、本作は登美彦氏の作品なので推して知るべしである。
なぜならば、成就した恋ほど語るに値しないものはないが、成就しなかった恋ほど語るに値しないものもないのだから。
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