前回の円覚寺に続き、今回も北鎌倉散策の記事です。
今回は明月院と建長寺。

円覚寺を出たのが、9時半くらいでした。
円覚寺から明月院までの距離は500m位なので、10時前には明月院についていたと思います。
明月院はあじさい寺として有名ですが、秋の紅葉もそれは見事なのです。



銀杏の道の突き当りに、明月院はあります。
明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺です。
首藤刑部大夫・山ノ内経俊が創建した名月庵が前身で、その後、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が、この地に最明寺を建立して出家生活を送りました。
さらにその後に、時頼の子で八代執権・北条時宗が最明寺を前身に、禅興寺を創建しました。
明月院と名を改めたのは、それよりさらに後、上杉憲方が足利氏満から禅興寺中興の命を受けて、寺院を拡大した時のことです。
円覚寺と同じく北条時宗ゆかりの寺ですが、こちらは主が何度も変わっているのですね。
明治初年に禅興寺は廃寺になって、現在は明月院だけが残っています。

兎と亀。
誰かが乗せたのでしょうか、兎の頭の紅葉が可愛い。













明月院は円覚寺に比べると、だいぶ敷地面積が狭いのですが、紅葉する樹木の数が多く、園内全体が、陽光を透かした赤と黄色の葉で輝くばかりでした。


庭園。


方丈内の円窓。

一番下の画像は、娘コメガネが撮ったものです。
樹の間から差し込む陽光の周りを、赤い光が放射状に取り囲んでいるのが面白いと思いました。
明月院を出て500mほど歩くと、建長寺に着きます。

建長寺は、巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。
本尊は地蔵菩薩。開基は鎌倉幕府五代執権・北条時頼。開山は南宋の禅僧・蘭渓道隆。

総門。

桜並木。


三門。

国宝の梵鐘。

本派専門道場。


参道の柏槇。樹齢は推定で約760年。
柏槇は禅寺を象徴する樹木です。

お堂の間の紅葉。


法堂の雲竜図。


華厳小宝塔。

仏殿。


地蔵菩薩坐像。


仏殿の天井。



方丈内。






庭園。
今回は明月院と建長寺。

円覚寺を出たのが、9時半くらいでした。
円覚寺から明月院までの距離は500m位なので、10時前には明月院についていたと思います。
明月院はあじさい寺として有名ですが、秋の紅葉もそれは見事なのです。



銀杏の道の突き当りに、明月院はあります。
明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺です。
首藤刑部大夫・山ノ内経俊が創建した名月庵が前身で、その後、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が、この地に最明寺を建立して出家生活を送りました。
さらにその後に、時頼の子で八代執権・北条時宗が最明寺を前身に、禅興寺を創建しました。
明月院と名を改めたのは、それよりさらに後、上杉憲方が足利氏満から禅興寺中興の命を受けて、寺院を拡大した時のことです。
円覚寺と同じく北条時宗ゆかりの寺ですが、こちらは主が何度も変わっているのですね。
明治初年に禅興寺は廃寺になって、現在は明月院だけが残っています。

兎と亀。
誰かが乗せたのでしょうか、兎の頭の紅葉が可愛い。













明月院は円覚寺に比べると、だいぶ敷地面積が狭いのですが、紅葉する樹木の数が多く、園内全体が、陽光を透かした赤と黄色の葉で輝くばかりでした。


庭園。


方丈内の円窓。

一番下の画像は、娘コメガネが撮ったものです。
樹の間から差し込む陽光の周りを、赤い光が放射状に取り囲んでいるのが面白いと思いました。
明月院を出て500mほど歩くと、建長寺に着きます。

建長寺は、巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。
本尊は地蔵菩薩。開基は鎌倉幕府五代執権・北条時頼。開山は南宋の禅僧・蘭渓道隆。

総門。

桜並木。


三門。

国宝の梵鐘。

本派専門道場。


参道の柏槇。樹齢は推定で約760年。
柏槇は禅寺を象徴する樹木です。

お堂の間の紅葉。


法堂の雲竜図。


華厳小宝塔。

仏殿。


地蔵菩薩坐像。


仏殿の天井。



方丈内。






庭園。