玄侑宗久著『荘子と遊ぶ 禅的思考の源流へ』は、禅僧で小説家の著者が、小説と論考とのミックスという形式をとりつつ、禅宗と荘子との関係を通して、中国の歴史が育てたもっとも偉大な鬼才・荘子の思想の真髄に迫っていく。
仏教は中国に入って来たのち、荘子に影響を受けて中国仏教として発展し、さらには禅宗を生み出した。禅の考えの殆どは、既に荘子に胚胎していたのである。そして、中国を通過した仏教は、禅や浄土教のように老荘と親和したものだけが発展し、日本で栄えた。
本書のタイトルは『荘子と遊ぶ』であるが、『荘子』の遊び様は並みじゃない。『荘子』を読むだけで、常識の楔から解放され、苦悩をいかに自分が作っていたか、そもそも自分とは何なのかを笑い混じりに気づかされ、救済へと導かれるのである。
荘子については、司馬遷『史記』の列伝第三「老子韓非子伝」において次のように述べられている。
《荘子は蒙人なり。名は周。周嘗て漆園吏たり。梁の恵王、斉の宣王と時を同じうす。其の学窺わざる所無し。然して其の要は老子の言に本づき帰す。故に其の著書十余万言、大抵寓言を率くなり。漁夫、盗跖、胠篋を作り、以て孔子の徒を詆し(言べんに比)し、以て老子の術を明らかにす。》
『荘子』という本は、荘周の作品を中心に、道家の論文や寓話などを編集した書物だとされている。内篇七編、外篇十五編、雑篇十一編の合計三十三編から成る。どの部分が荘周自身の手によるものなのかは、異論があって決められないので、本書では三十三編全体を『荘子』として扱っている。
そして『荘子』が、儒家や墨家だけでなく、老子さえも小説の登場人物のように扱っているように、本書『荘子と遊ぶ』も宗久さんと周さん(荘子)との出会いから別れまでを小説風に綴り、その合間合間に宗久さんが疑問に思ったこと、気づいたこと等を禅の教えと比較しながらの論考として差し挟んでいる。
周さんは最近、大阪の日本橋あたりから宗久さん宅の近所の古アパートに引っ越してきた動物専門の整体師。〇に福の字のTシャツ姿でスクワットをしながら、ほわほわとした大阪弁で結構よく喋る。そこに患者として訪れた柴犬ナムと赤トラ猫、えべっさんの縁日で遇った渾沌王の息子・渾沌王子が同居し、時にシーさんこと恵施やモーさんこと孟子がやって来て、周さん以外のメンバーを混乱に陥れたりしながら、『荘子』を解き明かしつつ、物語が進んでいく。
周さんは、人間に抑圧され、「もちまえ」の衰えてしまった家畜やペットの治療にあたっている。動物たちの「真性」が飼い主や調教師によって著しく歪められたと、荘周は憤っているのである(馬蹄篇)。
人も動物も、「もちまえ」がそのまま発揮されれば「徳」に帰り、その「徳」を全うすれば「道」に合致するというのなら、荘周の考える道徳はそのまま仏教の「慈悲」をも実現していることになる。徳や道は性という個別の「もちまえ」を超えて冥合し、愚のごとく理屈なしで通じ合ってしまうという。それこそが「慈悲」である。
役に立つ、立たないという世間の浅薄な見方に振り回されるから、「もちまえ」が衰えてしまうのだ。自ら進んで世俗の価値に打ちのめされるのは、もういい加減にしたらどうか。
なにより「無為」であることを重視する荘周にすれば、万物それぞれが較べられない「天機の動く所」としてある。それが「自然」であり、「素朴」だし、「無為」なのだ。
若いときには「有為な青年」などと褒められて喜ぶ。それは、世俗の価値によって「もちまえ」を歪められている状態ではないだろうか。曲がった木なら曲がったままで良い。その役立たずぶりが、「無用」であり、「無用」こそが「大用」に転換するのである。
「遊」は元々「神」しか主語に出来ない動詞だったようだが、人間にも「用」から「遊」に価値転換せよと、荘周は迫っているのだろう。
人の集合体が社会である。荘周は社会形態についてどう考えていたのか?
孔子、孟子、恵施、墨子、韓非子、孫子…偉大な思想家たちは皆、国家という社会形態の中で自らの思想を活かそうとした。
荘周には理想などない。ひたすら現状や運命を容認し、心の自由だけを問題にしたのが荘周である。「無方の伝」、つまり「物に応じて窮まらざる」変化、現状の成り行きに応じた融通無碌の変転。
変化し続ける現状に応じて自ら千変万化し続ければ、固定的な理想や目標など掲げる暇などないのではないか。禅で「即する」という生き方がすでに荘周において実現している。荘周はシステムに関係なく、抑圧される人々の視点から「自由」を考えていたのではないだろうか。
自然と一体化した状態。要するに知的な主観など皆無な、偉大なる随順。
完全な受け身こそ最強の主体性なのだ。周さんは言う。「そのとき人の想像力は爆発的に大きく膨らむんや。だから受け容れて随順した瞬間から、自然な反応そのものに強靭な意志がこもるんや。それだけが揺るぎない主体性とちゃうか」
人間が主観による勝手な判断をやめれば、どんなものにも元々然るべき可いところが備わっているのが分かる。周さんは言う。「無用に見える部分がじつは役立っているということでっしゃろ」
徳なき世における処世についての周さんの見解はこうだ。
《天下有道聖人成焉、天下無道聖人生焉、方今之時、僅免刑焉。(天下に道あらば聖人成し、天下に道なければ聖人生く。方今の時は、僅かに刑を免れんのみ。)》
良い世の中なら聖人にもすることがあるが、道無き世では聖人だって生きながらえるほかはない。刑罰を免れるのが精いっぱいだ。
刑などと言うと重たい話になるが、刑を世間からの批判くらいに考えると、現代に生きる我々市井の人間にも当てはまる話ではないだろうか。どんな生き方をしていたって、思わぬところから攻撃を受けるのが今の世である。正義・倫理を振りかざして他者を追い詰めることに何の痛みも感じない人の多さには戦慄を覚える。こんな外罰的な社会では、身を低くして、目立たないように生きるのが精いっぱいだ。
徳を翳して人に臨むのは危ういからやめたらどうか。礼儀で人を縛るもやめた方がいい。「無用の用」の推奨だ。
他者を一々批判しない。他者からの批判に一々狼狽えない。どうしようもない現実を容認しつつ、それに順応しつつ、未来を憂えず、「不測に立ちて無有に遊ぶ」。周さんと遊ぶ気持ちで世間に臨めば、生きることは随分楽になるのではないだろうか。
周さんの住むアパートの取り壊しが決まった。渾沌王子と溶け合った周さんは、鵬になり、アパートの窓から飛び去った。そして、気持ち良さそうに空へと広がって行った。「またいつか遊ぼな」という言葉を残して…。
仏教は中国に入って来たのち、荘子に影響を受けて中国仏教として発展し、さらには禅宗を生み出した。禅の考えの殆どは、既に荘子に胚胎していたのである。そして、中国を通過した仏教は、禅や浄土教のように老荘と親和したものだけが発展し、日本で栄えた。
本書のタイトルは『荘子と遊ぶ』であるが、『荘子』の遊び様は並みじゃない。『荘子』を読むだけで、常識の楔から解放され、苦悩をいかに自分が作っていたか、そもそも自分とは何なのかを笑い混じりに気づかされ、救済へと導かれるのである。
荘子については、司馬遷『史記』の列伝第三「老子韓非子伝」において次のように述べられている。
《荘子は蒙人なり。名は周。周嘗て漆園吏たり。梁の恵王、斉の宣王と時を同じうす。其の学窺わざる所無し。然して其の要は老子の言に本づき帰す。故に其の著書十余万言、大抵寓言を率くなり。漁夫、盗跖、胠篋を作り、以て孔子の徒を詆し(言べんに比)し、以て老子の術を明らかにす。》
『荘子』という本は、荘周の作品を中心に、道家の論文や寓話などを編集した書物だとされている。内篇七編、外篇十五編、雑篇十一編の合計三十三編から成る。どの部分が荘周自身の手によるものなのかは、異論があって決められないので、本書では三十三編全体を『荘子』として扱っている。
そして『荘子』が、儒家や墨家だけでなく、老子さえも小説の登場人物のように扱っているように、本書『荘子と遊ぶ』も宗久さんと周さん(荘子)との出会いから別れまでを小説風に綴り、その合間合間に宗久さんが疑問に思ったこと、気づいたこと等を禅の教えと比較しながらの論考として差し挟んでいる。
周さんは最近、大阪の日本橋あたりから宗久さん宅の近所の古アパートに引っ越してきた動物専門の整体師。〇に福の字のTシャツ姿でスクワットをしながら、ほわほわとした大阪弁で結構よく喋る。そこに患者として訪れた柴犬ナムと赤トラ猫、えべっさんの縁日で遇った渾沌王の息子・渾沌王子が同居し、時にシーさんこと恵施やモーさんこと孟子がやって来て、周さん以外のメンバーを混乱に陥れたりしながら、『荘子』を解き明かしつつ、物語が進んでいく。
周さんは、人間に抑圧され、「もちまえ」の衰えてしまった家畜やペットの治療にあたっている。動物たちの「真性」が飼い主や調教師によって著しく歪められたと、荘周は憤っているのである(馬蹄篇)。
人も動物も、「もちまえ」がそのまま発揮されれば「徳」に帰り、その「徳」を全うすれば「道」に合致するというのなら、荘周の考える道徳はそのまま仏教の「慈悲」をも実現していることになる。徳や道は性という個別の「もちまえ」を超えて冥合し、愚のごとく理屈なしで通じ合ってしまうという。それこそが「慈悲」である。
役に立つ、立たないという世間の浅薄な見方に振り回されるから、「もちまえ」が衰えてしまうのだ。自ら進んで世俗の価値に打ちのめされるのは、もういい加減にしたらどうか。
なにより「無為」であることを重視する荘周にすれば、万物それぞれが較べられない「天機の動く所」としてある。それが「自然」であり、「素朴」だし、「無為」なのだ。
若いときには「有為な青年」などと褒められて喜ぶ。それは、世俗の価値によって「もちまえ」を歪められている状態ではないだろうか。曲がった木なら曲がったままで良い。その役立たずぶりが、「無用」であり、「無用」こそが「大用」に転換するのである。
「遊」は元々「神」しか主語に出来ない動詞だったようだが、人間にも「用」から「遊」に価値転換せよと、荘周は迫っているのだろう。
人の集合体が社会である。荘周は社会形態についてどう考えていたのか?
孔子、孟子、恵施、墨子、韓非子、孫子…偉大な思想家たちは皆、国家という社会形態の中で自らの思想を活かそうとした。
荘周には理想などない。ひたすら現状や運命を容認し、心の自由だけを問題にしたのが荘周である。「無方の伝」、つまり「物に応じて窮まらざる」変化、現状の成り行きに応じた融通無碌の変転。
変化し続ける現状に応じて自ら千変万化し続ければ、固定的な理想や目標など掲げる暇などないのではないか。禅で「即する」という生き方がすでに荘周において実現している。荘周はシステムに関係なく、抑圧される人々の視点から「自由」を考えていたのではないだろうか。
自然と一体化した状態。要するに知的な主観など皆無な、偉大なる随順。
完全な受け身こそ最強の主体性なのだ。周さんは言う。「そのとき人の想像力は爆発的に大きく膨らむんや。だから受け容れて随順した瞬間から、自然な反応そのものに強靭な意志がこもるんや。それだけが揺るぎない主体性とちゃうか」
人間が主観による勝手な判断をやめれば、どんなものにも元々然るべき可いところが備わっているのが分かる。周さんは言う。「無用に見える部分がじつは役立っているということでっしゃろ」
徳なき世における処世についての周さんの見解はこうだ。
《天下有道聖人成焉、天下無道聖人生焉、方今之時、僅免刑焉。(天下に道あらば聖人成し、天下に道なければ聖人生く。方今の時は、僅かに刑を免れんのみ。)》
良い世の中なら聖人にもすることがあるが、道無き世では聖人だって生きながらえるほかはない。刑罰を免れるのが精いっぱいだ。
刑などと言うと重たい話になるが、刑を世間からの批判くらいに考えると、現代に生きる我々市井の人間にも当てはまる話ではないだろうか。どんな生き方をしていたって、思わぬところから攻撃を受けるのが今の世である。正義・倫理を振りかざして他者を追い詰めることに何の痛みも感じない人の多さには戦慄を覚える。こんな外罰的な社会では、身を低くして、目立たないように生きるのが精いっぱいだ。
徳を翳して人に臨むのは危ういからやめたらどうか。礼儀で人を縛るもやめた方がいい。「無用の用」の推奨だ。
他者を一々批判しない。他者からの批判に一々狼狽えない。どうしようもない現実を容認しつつ、それに順応しつつ、未来を憂えず、「不測に立ちて無有に遊ぶ」。周さんと遊ぶ気持ちで世間に臨めば、生きることは随分楽になるのではないだろうか。
周さんの住むアパートの取り壊しが決まった。渾沌王子と溶け合った周さんは、鵬になり、アパートの窓から飛び去った。そして、気持ち良さそうに空へと広がって行った。「またいつか遊ぼな」という言葉を残して…。