青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

ユリの種

2015-12-21 06:30:37 | 日記



友人からユリの種を戴きました。
ラッピングが可愛いので開けるのに躊躇しましたが、種を見てみたいとの好奇心に駆られ開封しました。薄さにビックリ!!エアコンの風で飛びそうです。

友人も知り合いの方から戴いたそうです。
何でも、株分けしていないのに勝手に増えているので、多分、落ちた種が発芽して育っているのではないか、とのこと。品種は不明とのことです。
私もユリには疎いので色々調べてみたのですが、「シンテッポウユリ」ではないかと考えています。

シンテッポウユリは、テッポウユリとタカサゴユリの交配種です。
花はタカサゴユリに似ていますが、タカサゴユリの花にある赤い筋がシンテッポウユリにはありません。
一般的にユリは種から育てると開花まで3~4年かかりますが、シンテッポウユリは種を撒いてから7~8ヶ月で開花します。種蒔きの適期は11月~12月上旬だそうです。


というわけで、慌てて撒きましたよ。育苗用のポリポットを使用しました。寒さ対策に発砲スチロールの箱に入れましたよ。
シンテッポウユリは発芽率が高く、初心者向きだそうです。全滅ということにはならないと思いますが、一つでも多く育ってほしいです。

秋にすかしゆり「ロリポップ」の球根を2球植えたので、種育ちと球根育ちとでどう育ち方が違うのか較べてみようかと思っています。
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年賀状の準備

2015-12-18 06:39:22 | 日記
暮れも押し迫って来たことですので、年賀状の作成にかかりました。
去年の今頃は娘が入院して、年賀葉書を買うことすら忘れていました。28日くらいになってから慌てて絵入り葉書を買って投函したと記憶しています。その前の月には牡丹が急死し、私自身にも災難が多くて不如意な一年でありました。今年は打って変わって良い年だったなぁとしみじみ…。禍福は糾える縄の如し、ですね。
因みに某オールバックの女性占い師の本では、私、去年は運気が良くて今年は波乱含みだったそうですけど、大外れでしたよ(笑)。○○星人とか言うアレですけど、それによると、私は一生財運に恵まれる星人なのだそうです。これも外れてますね!ハッハッハッ…。


今年はこれらの素材を使いました。


こんな感じで一枚一枚異なるデザインにしています。
シールをペタペタ貼ってスタンプをポンッと押しているだけですが、ちょっとは手をかけているような雰囲気になっているでしょうか…。親族と子供関係には、娘のプリクラでも追加しようかと思っています。

何か飾りだけ仕上げて終ったつもりになっていますが、宛先と本文を書かないことには投函出来ません。ここからが本番。
それにしても年賀状の本文って、親しい人ほど何を書いたら良いのか迷いますね。近況を知っている間柄で「お元気ですか?」はオカシイので…。とにかく、元旦に着くように頑張りますよ!!
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河内山宗俊

2015-12-16 06:11:34 | 日記
『河内山宗俊』は1936年の日本映画。監督は 山中貞雄 。脚本は 三村伸太郎 。主演は河原崎長十郎(4代目)。 物語のベースとなっているのは、講談『天保六花撰』と、それを歌舞伎にした『天衣紛上野初花』。原節子が出演した映画で、フィルムが現存する最古の作品としても有名である。

《ヤクザの用心棒・金子市之丞(中村翫右衛門)。彼は親分の縄張りで商売をする屋台からの所場代の徴収も請け負っているが、甘酒売りのお浪(原節子)だけからは、金を取ることを断っている。お浪に好意を寄せているのだ。

河内山宗俊 (河原崎長十郎(4代目))もお浪を好ましく思っている。
宗俊は、家の二階で賭博場を開き、一階では女房・お静に飯屋を任せている。お浪の弟・広太郎は道を踏み外しかけており、毎晩のように宗俊の賭場に通っている。お浪は弟を迎えに度々宗俊の許を訪れるが、広太郎は直次郎という偽名を使っているので、宗俊には誰の事だか解らない。そして、解らないまま、イカサマ将棋をきっかけに親しくなった直次郎(広太郎の偽名)に目をかけてやるようになっていった。

金子は、顔なじみの侍・北村から「主君から拝領した小柄を広太郎に盗まれたので、取り戻すのを手伝って欲しい」という相談を受ける。
しかし、金子はお浪に累が及ぶことを嫌い、「腹を切るしかありませんな。53まで生きれば十分でしょう」と受け流してしまう。

ちょうどその頃、小柄はセリに出されて、10両で落札されていた。
北村はお浪の元を訪れ、「3日待ってやる。それまでに小柄を返さなければ、奉行所に訴える」と宣告して帰って行った。お浪は心配するが、金子は「向こうも表沙汰にしたくはないだろうから、訴えられる心配はないだろう」と彼女を宥めた。
北村は、小柄を競り落とした侍から、それが自分の小柄とは気がつかないまま、盗まれた小柄の代わりにするために30両で譲り受けていた。

広太郎がとんでもない過ちを犯した。
ヤクザの配下の女郎屋から幼馴染の女郎を連れて逃げたのである。二人は、広太郎を可愛がってくれている宗俊の許に匿ってもらうつもりであったが、宗俊はお浪の怪我をきっかけに親しくなった金子と出かけており、不在だった。応対したお静は、宗俊がお浪に好意を持っていることに怒っているので、広太郎がお浪の弟であることを確認すると、すげなく追い返した。

進退窮まった二人は心中を決意し、大川に飛び込んだ。
広太郎は助かったが、女郎は死んでしまったらしい。女郎屋のヤクザがお浪の元に押しかけてきた。お浪は広太郎を隠し、「弟は最近家に寄りつかないので、居場所はわかりません」と言い張るが、ヤクザは若くて世間を知らないお浪に「あの女郎には三百両掛かっている。三百両は大金だから、体ととっくり相談しろ」と吹っかけて帰って行った。
お浪は身売りを決意し、家を出た。

事情を知った宗俊と金子は、お浪を救うために詐欺を働くことにした。
高僧に扮した宗俊が立派な篭で北村の主君の屋敷に乗り込んで、盗まれた小柄をネタにまんまと三百両の入手に成功したのである。しかし、詐欺がばれるのは時間の問題だった。宗俊の身に危険が迫っていた。

宗俊の賭場にヤクザたちがやってきて、「広太郎を出せ」と騒いだ。
お静は切られ、宗俊・金子・広太郎の三人は、溝の中を通って逃げる。しかし、直ぐさま見つかり、溝の中で戦いが始まった。敵の盾になっていた金子は、前後を挟まれ切られてしまう。
宗俊は、広太郎に金を渡し、お浪が身売りしたのが品川の相模屋であることを教えて逃がし、背中でバリケードを支えながら、広太郎が逃げ延びるための時間を稼いだ。そして、隙間から差しこまれた刃で命を落としてしまう。
広太郎だけが、朝ぼらけの中を姉の許へと走っていく姿が映されて、終幕。》

山中貞雄については、まず構図の美しさを讃える声が多い。本作『河内山宗俊』は、『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』や『人情紙風船』と比べると、知名度や評価は低いが、それでも、驚くほどの奥行と物語を感じさせる画には目を奪われる。

例えば、広太郎と女郎が心中する場面。
柳に月の薄曇り。次のショットは項垂れた女郎。切り替えされたカメラに広太郎が映される。次は杭が出ている水面に映る月影。 その次は、二人が大川の橋の手前にいる全体図。女郎が「死ぬ覚悟は出来ている」と語ると、広太郎が近づき「それなら俺も一緒に死ぬ」と言い出す。すると女郎は立ち上がり、「お浪さんに悪い」というが、広太郎は「姉さんの事はどうでも良い」と言い返す。そこでいきなり柳の並ぶ川岸を歩く二人の男たちを映すと、バシャンという水音が続けざまに二度聞こえて、驚いた二人の男たちが何が川に落ちたのかを見にいく。 その後は、水面に何かが落ちて沈んだ波紋だけを映し出す。これだけで、広太郎たちが身投げをしたことがわかる。

それから、弟を探し歩いたお浪が帰宅後、屋内に弟がいるのを見つける場面。
お静に罵られ、半泣きで家に戻るお浪。項垂れながら入って来る姿。奥に人影があるのに気付く。広太郎が裏庭の縁側で背を丸めている。もう一度カメラが切り替えされて、奥の部屋との敷居で弟がいるのを喜ぶお浪が映し出される。またカメラが切り替えされ、無表情の広太郎が振り返る。そのままお浪は広太郎の前に座り、にこやかに話し掛ける。裏庭の物干しに濡れた男物の着物が干されている。説明が無くても、広太郎だけが助かったことがわかる。

そして、雪の降る場面。
項垂れて畳に手をつく広太郎を手前に、縁側にお浪が立ったまま横顔を見せて障子に凭れている。さらにその奥に雪がちらちらと降っている。時折、紙風船で遊ぶ近所の子供の姿が映される。
一連の流れには夾雑物が一切なく、息を呑むような美しさだ。

山中貞雄は1937年に中国に出征、28歳の若さで戦病死している。20本以上の監督作品のうち全編が現存しているのは、この『河内山宗俊』と、『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)、『人情紙風船』(1937)の3本だけ。隙のない脚本と含蓄に富むセリフ。生きることに倦み擦れた人間の持つ、無垢な者への慈しみと憧憬。ユーモアの底に社会のグレーゾーンに生きる人々の哀感が潜んでおり、これが27歳の青年の作品なのかと驚嘆する。長生きしていれば、小津クラスの名監督として讃えられたであろうに、と残念でならない。
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レモンジャム

2015-12-14 06:08:26 | 日記
秋に自宅の庭で収穫したレモンが余ったので、傷まないうちにレモンジャムにしてみました。


レモンの両端を切り落とし、薄くスライスして、種を除きます。
それから、苦みを取るために一度沸騰したお湯に入れ軽く茹でます。
笊でお湯を切ってから、お水とグラニュー糖と一緒に鍋に戻して、弱火でコトコト煮詰めながら、灰汁や取り残した種が浮いて来たのを取り除きます。


出来ました!!粗熱が取れてから味見してみました。こんなに入れて良いのかと思うくらい大量にグラニュー糖を投入した割には、結構大人向けの味に仕上がりましたよ。自分で作ってみると、市販のジャムにはいかに多量の糖が使用されているかがわかりますね…。娘・小3の口には合わなかったようで、「酸っぱい!」と不評でした。残念。主人と私とで使うことにしますよ。
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郵便局と蛇

2015-12-11 06:27:35 | 日記
A・E・コッパード著『郵便局と蛇』に収められている10篇の短編は、物語性を重視した古風な手法と晦渋な修辞、登場人物の古典的なセリフが、まるで近代に蘇った神話のように神秘的な印象だ。オールド・ファッションと評されているらしい。
コッパード作品の中では、神話や民話の世界と日常世界とが奇妙に入り混じっている。『郵便局と蛇』の世界を食い尽くす蛇の住む沼と、中年女が局長を務める威厳を欠いた郵便局。『辛子の野原』の世界の終わりのような寂寞とした野原と、延々とお喋りを続ける中年女たち。不可解な取り合わせに、立っている地面が揺らぎ、世界が裂けるような不安を覚えてしまう。
人物設定や物語の構成が破綻している訳でもないのに、作者の意図が読めない。コッパードの作品世界は、まことに風変りで単純な判断を下せないのだ。

以下が収録作。
コッパードの作品は、キリスト教に関わるもの、村を舞台にしたもの、恋愛小説的なもの、ファンタジー、の四種に大別できるようである。作品の選択には、あまり偏向が無いように心がけたと編訳を手掛けた西崎憲氏は記している。

Silver Circus『銀色のサーカス』
The Post Office and the Serpent『郵便局と蛇』
Simple Simon『うすのろサイモン』
The Fair Young Willowy Tree『若く美しい柳』
The Field of Mustard『辛子の野原』
Polly Morgan『ポリー・モーガン』
Arabesque: The Mouse『アラベスク 鼠』
The Drum『王女と太鼓』
A Little Boy Lost『幼子は迷いけり』
Marching to Zion『シオンへの行進』

収録作の中では、『ポリー・モーガン』が比較的わかり易かったように思う。死霊との恋は、幻想小説としては王道のテーマだろう。とはいえ、死霊の描写の不明確さ、死霊とその恋人との関係の不可解さ、主人公の婚約者の死の理由の曖昧さ、主人公と婚約者の関係の希薄さなど、薄靄を介す様な雰囲気はコッパードらしいと言える。

《コプスンという上品で可愛らしい農村。30歳になるポリーは、アガサ叔母の屋敷でその夏を過ごしていた。アガサ叔母は60歳の老嬢だが、上品で小ざっぱりとしていて美しかった。

村の農場主・ローランドが死んだ。彼の遺言通り、葬列には誰も参加せず、花を手向ける者も無かった。しかし、遺言のことを知らないアガサ叔母は、ローランドを気の毒に思い、墓に花を手向けてしまう。そのことで、村の中に妻子持ちのローランドとアガサ叔母との仲を疑う噂が飛び交った。

そんなアガサ叔母の部屋を毎晩窓から訪ねて来る者がいるらしい。ローランドの幽霊なのでは、と不安になったポリーは婚約者のジョニーに相談し、訪問者が入って来られないように壁の蔦を切り、窓に楔を挟んでしてしまうのだが……。》

ローランドについては、容姿も性格も説明がない。その不在感が返って彼の存在感を際立てている。生前のローランドがどんな人間だったかは問題ではなかった。彼の容貌とか、生前にアガサ叔母とどんな親交があったかとかは、どうでも良かったのだ。幽霊との恋が教会的に不適切であることも、勿論どうでも良かった。
美しい老嬢と幽霊とのロマンティックな恋。しかし、“ヘスぺリスの園”は、己の常識が絶対だと信じて疑わない者たちによって無慈悲に破壊されてしまった。アガサ叔母は、“あのひと”からの合図が無くなったことを嘆きながら死んでいった。

アガサ叔母の気品に対する、前半でのポリーのくすんだ印象はどうだろう。しかし、ポリーはアガサ叔母とジョニーを失ったことで、物語のヒロインにふさわしい品格を得た。故にこの物語のタイトルは、『アガサ』ではなく、『ポリー・モーガン』で良いのだろう。

アガサとローランドの深い愛情関係に対して、ポリーとジョニーの関係の薄さが不気味だ。愛を誓い合い、昼も夜も一緒にいたというのに、ジョニーが死んだら彼の面影など忽ち記憶から薄れてしまう。彼は不運なだけだった。彼の姿を思い出すことも出来なければ、彼が自分にとってなんだったのかもわからない。そこにはどうしようもない空白があると感じている。
では、毎晩、一人の部屋で二人分の食事を用意して、誰を彼女は待っているのだろう?空白を突き抜けて神聖な場所に辿り着こうとする時、隣に誰がいると思っているのだろう?物語の前半では地味で通俗的だった彼女が、一人取り残されたのち、心の内に深淵を抱く陰影の濃い存在になった。本人さえも訝しんでしまうような奇怪な心模様と、深く甘い虚無が読後も長く心に残った。

巻末の訳者による「A・E・コッパードについて」は、非常に役に立つ内容だった。コッパードが歩んだ人生と小説家になった背景、その時々に愛読した詩や小説が記されていて、彼の好みの傾向を知ることが出来た。

1878年、田舎町フォークストンにて、労働者階級の父母の間に生まれ、9歳で父を喪ったコッパードの幼少期は恵まれたものではなかった。生活は赤貧状態で、一家は教会の慈善活動や貧民救済委員の助けを借りなければならなかった。コッパードも10歳の時から、リヴァプールの叔父の元に厄介になりながら働いた。

17か18の時に古本屋でキーツの『つれなき美女』に出会って以来、詩の虜になった。27歳でオックスフォードにて所帯を持った頃、詩と芸術に優れた感覚を持つ学生たちと交流も持つようになる。労働者として職を転々としてきたコッパードは、ここで初めて同好の士に出会ったのだ。しかし、教養の差から10歳も年下の学生たちの議論の内容が理解できない。学生たちは詩を読むだけでなく、書くことが出来た。そして、彼らの詩は雑誌に掲載されていた。コッパードのグループにはイエイツも顔を出していた。

コッパードは奮起した。
1916年、小説『交わり』が『ヴァーシティ』に発表された。翌年には『エゴイスト』に詩が掲載された。その時の同誌の編集長はエリオットだった。
1919年3月、勤務先の鉄工所を辞め、小説家として生きていくことになる。オックスフォード近郊のシェパース・ピットにコテージを借りた。この地で触れた自然は、彼に様々なインスピレーションを与えた。出版社に原稿を送っては送り返される日々を経て、1921年初めての短編集『アダムとイヴとツネッテ』が出版された。『アダムとイヴとツネッテ』は高い評価を持って受け入れられ、1922年には第二短編集『クロリンダは天国を行く』が出版され、同様に高い評価を受けた。以来、短編作家として活動をつづけ、1957年、79歳でこの世を去った。

西崎氏は「コッパードの初期の短編集が評価も高く、しかもある程度売れたという事実には、ある種の驚きを感じずにはいられない」と述べているが、私も同感である。それほど、コッパードの作品は、デリケートで解釈が難しいのである。
コッパードは自分の書くものをstoryとは言わずtaleと言った。貧しく十分な教育を受けることが出来なかったコッパードにとって、folk taleは精神の支柱であり、詩の源泉であったのかもしれない。本書に収められた10篇からは、folk taleへの切実な愛情があふれている。
イギリスには、ブレイク、キーツ、トマス、ロレンスなど労働者階級出身の詩人・作家が数多くいる。彼らは殆ど独学で、先人の文学を独自の解釈で読み、創作の糧としてきた。繊細な作風からは意外なほど強靭な精神力の持ち主だったのである。コッパードも彼らの眷属だ。オックスフォード大学やケンブリッジ大学出の作家とは一線を画す孤高の作家として、メジャーではないが安定した支持を得ているのである。
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