青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

河津桜2018

2018-03-12 07:08:00 | 日記



先週土曜日に、足柄上郡松田町の「まつだ桜まつり」に行ってきました。
「まつだ桜まつり」は二月十日から三月十一日までの開催で、我々が行ったのは最終日の二日前。もう河津桜のピークは過ぎていたので、行くかどうか前日まで迷いました。
毎年お雛様を片づけるころになって「あっ、河津桜…」と思い出し、「もう散り始めているから来年にしよう」と思うのですが、翌年もやっぱり忘れている。それをかれこれ十五年近く繰り返している状態。今年はこの日に行こうと決めた日の二日前から大雨だったし、当日も朝からしっかり雨降り。やっぱりやめておこうかなと思いましたが、そんなことを繰り返していたら、一生河津桜を観に行くことが出来ないので、とりあえず出発しました。
















観桜には向かない天候でしたが、思ったより河津桜の花が残っていたので感激しました。
山の斜面全体を河津桜と菜の花が埋め尽くしていて、その間をくねくねと遊歩道が続いています。ピンクと黄色のコントラストは、晴天時に見たら目が覚めるように鮮やかだと思いますよ。
葉っぱ混じりもそれはそれで可愛かったのですが、話しかけてくれた職員さんが「ピークの時はもっとすごいんですよ。今年は最終日間際になって追い打ちをかけるみたいに雨が続いて…」と残念がっていたので、「来年はピーク時にお天気の日を狙って来ます」と約束しました。やはり青空をバックに満開の桜を観たいですよね。松田山は〈関東の冨士見百景〉に選定されているので、晴天時に“菜の花の黄色、河津桜のピンク、その向こうに見える富士山”なんて構図を見ることが出来たら素敵ですね。






河津桜と菜の花以外の花も。
ローズマリー、クリスマスローズ、スノードロップ。


この日は雨天だったのでミニSLは運休でした。
でも、残念がっていたのは私だけ。夫は元々SLに乗るつもりはなかったそうだし、娘・コメガネは桜アイスと桜のアクセサリーを買えたのでご満悦でした。


園内の子どもの館では、雛のつるし飾りが約6000飾られていました。コメガネは桜よりもこちらを喜んでいましたよ。
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楽園の瑕 終極版

2018-03-08 07:02:34 | 日記
『楽園の瑕 終極版』(2008年香港)は、『楽園の瑕』(1994年)の別編集バージョン。監督はウォン・カーウァイ。
金庸の『射鵰英雄伝』に登場する“東邪”黄薬師と“西毒”欧陽鋒の前日譚という位置づけだが、ストーリーはウォン・カーウァイ監督のオリジナルである。

欧陽鋒…レスリー・チャン
黄薬師…レオン・カーフェイ
洪七…ジャッキー・チュン
盲目の剣士…トニー・レオン
慕容燕/慕容嫣…ブリジット・リン
欧陽鋒の兄嫁…マギー・チャン
洪七の妻…バイ・リー
桃花…カリーナ・ラウ


“人に拒絶されないためには、先に拒絶することだ”

南宋末期。
欧陽鋒は西域の砂漠で殺し屋の斡旋業を営んでいた。毎年必ず啓蟄になると東から旧友の黄薬師が尋ねて来る。理由はわからない。

その年の啓蟄。
黄はある女に貰ったと言って、“酔生夢死”という酒を持参した。その酒を飲むと過去を忘れることが出来るのだ。「思い出にこそ悩みの元がある」と黄は言う。その酒を、欧は飲まなかったが、黄は飲み、過去を一つずつ忘れていった。
翌朝、黄は去って行った。それ以来、欧を尋ねることはなかった。

一ヶ月後、黄はある山に向かった。
そこは親友の故郷だった。親友が結婚したばかりの頃、黄は一ヶ月ほど滞在したことがあったのだ。親友はある日突然失踪した。
水辺で馬の体を洗っていた女が、黄の顔を見て泣いた。

酒場に入った黄は、同じ卓についた男の顔に見覚えがあった。
「前に会ったな」と訊ねる黄に、男は「とぼけるな。最高の友だった。だが今は違う」と答えた。「ここで何を?」と聞き返してきた男に、黄は“酔生夢死”の話をした。話が終わると男が立ち去ろうとした。「また会えるか?」という黄の問いに、男は背を向けたまま「いや」と答えた。
男は、黄を殺すつもりでいたのだ。だが出来なかった。眼が見えなくなっていたからだ。

黄は酒場で美しい剣士に切りつけられる。黄はその剣士のことも忘れていたのだ。
黄は燕国を訪れた際、美しい剣士・慕容燕と出会い、親しくなった。
ある夜、黄は酔った勢いで慕容燕の頬に触れ、「君に妹がいるなら、妻に迎える」と、戯言を吐く。そして、妹がいると言う燕と、妹を貰い受ける日時を約束して別れた。

燕は男性ではなく、男として生きることを強いられた女性だった。
約束の日、燕は妹の嫣として美しく着飾り、木に鳥籠をぶら下げて黄を待ったが、黄は現れなかった。燕/嫣は、黄を激しく憎んだ。

立春の後。
彼女は、燕として男装で欧の元を訪れ、「出来るだけ残酷に」と黄の暗殺を依頼する。ところが、その直後に、嫣として女装で欧を尋ね、燕の暗殺を依頼するのだった。
不審に思った欧は、燕と嫣が同一人物であることに気が付き、燕/嫣に黄が残した“酔生夢死”を飲ませた。酔った燕/嫣は、欧と黄の区別が付かなくなり、黄への思慕を吐露する。燕/嫣は、黄が彼女を女と知りながら、守る気の無い約束をしたことを知っていたのだ。それに対する返答のように欧は、今は兄嫁となったかつての恋人に言えなかった言葉を、燕/嫣に向かって告げる。
その夜、寝床に横たわる欧の身体に何者かの手が触れた。欧は、その手が燕/嫣なのかかつての恋人なのか、分からないまま身を委ねた。
その日から燕/嫣は姿を消した。
燕/嫣は、江湖で修業を積み、数年後、“独孤求敗”という呼び名で知られるようになった。

欧の家を一人の娘が訪れた。
一頭のラバを曳き、卵の入った籠を抱えた彼女は、馬賊に殺された弟の敵を討って欲しいという。だが欧は、依頼をするならラバではなく金をよこせと突っぱねた。娘はそのまま欧の家のそばに佇む。

欧の元に、眼の悪い剣士が現れ、仕事の斡旋を乞うてきた。
剣士は「自分は30歳になると完全に失明する運命にある。その前に故郷・桃花島の桃の花が見たくなったので旅費を稼ぎたい」と言う。
数か月前に村人に雇われた黄が闘った馬賊の残党が、近々復讐に来るだろう。欧はその始末を剣士に斡旋することにした。

剣士は、弟の仇を討ってほしいと縋る娘を無視した。
「娘を見ると、故郷に残した妻を思い出す」という。「愛しているのになぜ流離う?」という欧の問いに対し、剣士は「(妻は)親友を愛したんだ」と答えた。

桃の花が散ってしまうと剣士は焦るが、馬賊がいつ襲撃するのかはわからない。
剣士は毎晩提灯をともし、馬賊を待ち構えていた。だが、彼が既に視力を失っていることに、欧は気づいていた。

馬賊が襲撃してきた。
多勢に無勢の中、盲目の剣士は健闘したが、馬賊の中に彼よりも素早い剣捌きの者がいた。喉を切られた彼は、青空を仰ぎ、そよ風のような己の血飛沫の音を聞きながらこと切れた。

白露。
洪七という裸足の男が、仕事を貰いに欧の元を訪れる。
野心に燃える彼に、欧は砂漠に転がる盲目の剣士の干乾びた遺骸を見せ、首についた傷から敵の太刀筋を教える。
やがて一人の女が洪七を探して欧の家を訪ねてきた。
彼女は洪七が故郷に置いて来た妻だった。江湖の掟では、武侠は女連れで流離うことは出来ないのだ。

洪七は、弟の仇を討ってほしいという娘の依頼を、卵一個と引き換えに請け負った。
彼は敵を全滅させながらも、一瞬の躊躇いで指を一本斬り落とされ、その傷がもとで高熱を出してしまう。狼狽える娘に、彼は「俺は卵が欲しかったのだ。貸し借りは無い。だから、馬鹿な真似をするな」と語った。以後、欧の家の前から娘の姿は消えた。

病の癒えた洪七は「九本指の英雄になる」と宣言し、江湖の掟を破って、妻を連れて北に旅立った。欧は二人が妬ましかった。
三年後、洪七は蛮族の首領“北丐”となり、大雪山で欧と対決し、両者絶命することになる。

欧にとっての、辛いけれど忘れたくない記憶。
彼が修行の旅から故郷の白駝山に戻ってみると、彼の恋人と彼の兄との婚礼が決まっていた。婚礼の前夜、欧は駆け落ちを持ち掛けたが、彼女は拒んだ。欧は失意のうちに一人故郷を離れた。

翌春。
欧が桃花島を訪れる。
盲目の剣士の妻は、欧が持っていた手ぬぐいを見て、夫の死を悟り、涙を流した。
桃花島には、桃の木は一本もなかった。桃花とは、剣士の妻の名前だったのだ。桃花の泣き声を聞いているうちに、欧は黄がなぜ毎年啓蟄に訪ねてきたのかが分かった。

欧の兄嫁は、息子を一人産んだ。
一人息子を見つめる時、彼女が誰のことを考えているのかを、黄は知っている。
黄は、兄嫁から、年に一度、啓蟄の日に欧を訪ねて彼の様子を教えて欲しいとの依頼を受けていた。「なぜ欧と結婚しなかった?」という黄の問いに対し、兄嫁は「愛していると言ってくれなかったから」と答えた。それから、「愛の勝者になったと思っていた。けれども、ある日鏡を見たら、そこには敗者がいたの」とも。彼女に惹かれていた黄だったが、過去ばかりを見つめている彼女には、自分が付け入る隙など無いことを悟る。
そんな黄に、兄嫁は「あなたは彼の友人なのに、なぜ私のことを黙っているの」と問う。それに対し黄は「あなたに教えるなと言われたから」と答えた。兄嫁は「あなたは誠実な人なのね」と泣き崩れた。そして、「彼に渡して」と、黄に“酔生夢死”を託したのだった。
それから程なくして、兄嫁は死んだ。
“酔生夢死”を、欧は飲まなかったが、黄は飲んだ。そして、桃の花以外のすべてを忘れた。
六年後、黄は桃花島に隠遁し、“東邪”と称した。

兄嫁の死から二年後の啓蟄。
欧は、訪れることの無くなった黄を待ち続けていた。白駝山から届いた手紙で、欧は二年前に兄嫁が病死したことを知った。欧はついに “酔生夢死”を飲んだ。しかし、どういう訳か何一つ忘れることができなかった。
その晩から、欧は同じ夢を見るようになった。
翌年、彼は砂漠の家を焼き払い、故郷に戻る。白駝山に戻った欧は 、“西毒”と呼ばれることになる。


忘却とは、最も峻烈な拒絶なのかもしれない。
本作は、『射鵰英雄伝』に登場する人物を扱っているが、武侠の要素を求めるとガッカリすることになるので、映像美・幻想美を楽しむ作品だと割り切るべきだろう。
本作に限らず、カーウァイ監督の作品は、ストーリーではなく、フラグメントを楽しむものだと、私は思っている。黄色く乾いた砂塵、紺碧の空を流れる白い雲、水浴びをする馬と女、湖面に映る男装の女剣士、日を浴びて咲き誇る桃の花、影をちらつかせながら回る鳥籠、砂漠に朽ちていく遺体、哀愁たっぷりの伝統音楽…一つ一つは陳腐なのに、組み合わせ方で詩情たっぷりに見せるのが上手い監督だ。上っ面ばかりで中身が無いと言われるカーウァイ作品だけど、別にそれでいいのでは?人生について鼻息荒く語られるとこそばゆい気持ちになってしまう私には、丁度良い軽やかさである。

愛に勝敗があるとしたら、本作の登場人物は洪七夫妻以外皆敗者だ。
“酔生夢死”が欧に何も忘れされてくれなかったのは本当か?一人で生きる欧に記憶の確認をする相手などいないのに、なぜ何も忘れていないと断言できるのか?彼が過去の記憶だと思っているものが、ただの夢ではないと、なぜ言い切れるのか?また、黄や燕の中に残った記憶の欠片は、何処までが本物なのか?
何が現実で何が幻想なのか分からないまま、すべてが時間と砂塵に埋もれていく。それぞれの人物が主観と憶測で語るのみで、他の人物と理解し合おうとはしない。彼らは一瞬だけ関わり合いになるが、親密度が深まらないまま別れていく。孤独に沈んでいるが、特に悲壮感はない。ハッピーエンドには程遠いのに、後味は悪くない不思議な作品だった。
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ひな祭りパーティ2018

2018-03-05 07:03:55 | 日記

今年のひな祭りのお菓子は、桜クリーム大福と抹茶クリーム大福にしました。


中の餡は市販の物を使用しました。
桜クリーム大福はパイオニア企画の桜餡です。桜の葉が入っていて良い香りです。
抹茶クリーム大福は白餡に抹茶パウダーを混ぜるつもりでしたが、冷蔵庫に使いかけの粒餡があったので中の餡にはそれを使用し、外側の求肥に抹茶パウダーを混ぜることにしました。

桜クリーム大福の材料は、白玉粉100g、砂糖 50g、水160㏄、桜の葉の塩漬け個数分。
抹茶クリーム大福の材料は、白玉粉100g 、砂糖 50g、水160cc、抹茶粉末 小匙3杯。
それから中に入れる生クリーム個数分です。

凍らせておいた生クリーム(1つ約5g)を餡で包みます。
我が家は小学生がいるので子供の舌に合わせていますが、大人だけなら生クリームは入れなくてもかまわないと思います。

出来た餡玉を冷凍庫に入れておき、その間に求肥を作ります。
材料をよく混ぜてから、レンジ600wで2分あたため、しっかり練ってから片栗粉を敷いたアルミバットの上に広げて少し冷まします。


人肌くらいに冷めたら餡玉を包みます。
桜クリーム大福の上には桜の塩漬けを置き、抹茶クリーム大福の上には抹茶パウダーを振りかけて出来上がりです。


今年のお寿司は、オープンいなり寿司にしました。




今年もお雛様を飾りましたよ。


蓬と柏は今月で一歳になります。
柏は二週間前に受けた避妊手術の抜糸が無事に済みました。
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愛その他の悪霊について

2018-03-01 07:12:37 | 日記
ガルシア・マルケス著『愛その他の悪霊について』

マルケスの小説にしては登場人物が少なく、ストーリーも複雑ではない。導入部から悲劇的結末が予告されているところは、『予告された殺人の記録』のスタイルに近いが、本作の方がロマンスの要素が大きい。


12月最初の日曜日。
カサルドゥエロ侯爵の一人娘のシエルバ・マリアは、12歳のお誕生日会のための鈴の飾りを買いに来た市場で野良犬に左の足首を噛まれた。
市場をうろつく野良犬に人が噛まれることは日常茶飯事であり、大した怪我ではなかったこともあって、シエルバ・マリア自身もお供の女中もこの件について気にも留めなかった。

シエルバ・マリアの母親は、ベルナルダ・カブレーラといって、カサルドゥエロ侯爵の無爵位の夫人である。
煽情的で強欲で、下半身の貪欲なメスティーサ(混血女)だ。かつては人魚のようにしなやかな体と美貌を誇っていたが、数年のうちに蜂蜜酒とカカオ粒に溺れ、表舞台から姿を消した。寝室から出ることは殆ど無く、むくんで色のくすんだ巨体から爆音とともに強烈に臭い屁を放つ。享楽的な雰囲気を漂わせているが、実業家としての才には抜きんでたものがあり、奴隷貿易において彼女以上に抜け目なく立ち回った者はいない。

シエルバ・マリアの父親は、ドン・イグナシオ・アルファロ・イ・ドゥエニャス即ち第二代カサルドゥエロ侯爵といって、ダエリン地方の領主である。
百合のように白い顔色で、落ちぶれた雰囲気を漂わせている。生気の上がらぬメランコリックな気質。初恋の女性とは父親からの圧力に屈して別れ、最初の妻とも相手の歩み寄りに応えることが出来ず、二番目の妻ベルナルダとは押し切られて結婚。夫婦仲は当然のように不和である。

夫妻は二人とも娘には一切の関心を払っていない。
ゆえに、シエルバ・マリアは敷地内の奴隷の居住区で、奴隷たちの手によってアフリカ式に育てられた。西洋式の教育やカトリックの教義とは無縁に成長した自然児である。彼女は本名と、自分でつけたアフリカ名――マリア・マンディカとを使い分け、結婚する日まで切らない誓いを立てた長い金髪を三つ編みにして止めていた。

かつてはドミンカ・デ・アドビエントという生粋の黒人女の手腕で秩序を保っていた侯爵家も、彼女が亡くなってからは、白人と黒人、侯爵と夫人との間を調停する者はおらず、敷地内は混沌と怠惰と無関心に支配されていた。

お誕生日会の二日後になって女中からシエルバ・マリアが犬に噛まれたと聞かされても、ベルナルダは放置していた。無論、夫に話すこともなかった。
次の日曜日にその女中から、市場でシエルバ・マリアを噛んだ野良犬が、狂犬病で死んだものであることを知らせるべく木に吊るされているのを目にしたと聞かされても、心配一つしなかった。

侯爵が、シエルバ・マリアが狂犬病の犬に噛まれたことを知ったのは、一月になってからだった。
妻でもなく、使用人でもなく、サグンダという放浪のインディオ女の口からそれを聞かされた侯爵は、今更のように父性と危機感を自覚した。彼は一人でラサロの丘にあるアモール・デ・ディオス病院まで、狂犬病患者を見に行った。そして、シエルバ・マリアの今後に希望を見出すことなく逃げるように病院を後にした。
侯爵は帰り道、医師のアブレヌンシオ・デ・サア・ペレイラ・カン学士を馬車に乗せた。病院で見た狂犬病患者について、「何がしてやれるのか」という侯爵の問いに、アブレヌンシオは、「ひとたび狂犬病の症状がでたら、もう何の手立てもない。患者にしてやれるのは殺してやることだけだ」と答えた。

帰宅後、侯爵が行ったのは、ドミンカの死後すっかり秩序を失ったこの家の手綱を取ることだった。
侯爵は娘を奴隷小屋から先代侯爵夫人の寝室に連れ戻し、再教育を図る。が、当然のことながら巧くいかない。そこで、彼はムラータのカリダー・デル・コブレに、愛情と理解をもってシエルバ・マリアの面倒を見るように命じる。これ以降の侯爵は、娘に関してはことごとく他人任せで、しかもすべての選択を間違ってしまうのである。

アブレヌンシオが朝早くに突然訪ねてきて、シエルバ・マリアの診察をするという。
予想に反して、シエルバ・マリアはむずがることはなく、医師に対して笑みさえ見せた。
アブレヌンシオは、狂犬病の兆候については、甘い事は言わなかった。症状が出てから出来ることは、アモール・デ・ディオス病院に入院させるか、それが嫌なら侯爵自身が娘を死ぬまでベッドに鎖でつないでおくという苦しみを引き受けるしかない、と語った。それは、懶惰な暮らしに浸かっている侯爵には、耐え難い事だった。

侯爵は何らかの希望を求めて、医師、薬剤師、呪術師、血抜きをする床屋と、ありとあらゆる人物に縋った。
シエルバ・マリアは、既に癒着した傷を切開され、発泡パップやからし軟膏を施され、背中から蛭に血を吸われ、傷口に尿を塗られ、浣腸や魔法の劇薬を施されと、拷問のような治療を受けさせられた。皮膚は腫れ、胃は爛れ、苦痛の極みにまで追いやられた。最初の頃は誇りをもって治療に耐えていた彼女も、二週間が過ぎたころには、痙攣、引付け、錯乱、下痢、失禁にのたうち回るようになった。その凄惨な姿に、治療者たちからは、悪霊に憑かれていると見放された。シエルバ・マリアの不調と錯乱に関る噂は、忽ち民衆の間に広まった。

侯爵はシエルバ・マリアの件で、教区の司教ドン・トリビオ・カセイス・イ・ビルトゥーデスに呼び出された。そして、悪霊に憑かれたシエルバ・マリアの魂を救うためにサンタ・クララ修道院に入れることを決断した。犬に噛まれてから93日目のことだった。
事を知ったアブレヌンシオは、「神の命令だったと確信しています」と言う侯爵に対して、異端審問所の恐怖を説き、「連れ出しなさい、あんなところから」と告げた。

シエルバ・マリアは、修道院長ホセファ・ミランダをはじめとする修道女から悪霊憑きと決めつけられ、修道院の中で起きたあらゆる不運な出来事を彼女の魔力のせいにされた。不衛生な独居房に監禁され、身に着けていたものを取り上げられた。唯一好意的なのは、殺人を犯して収監されたマルティナ・ラボルデだけだった。

苦境にあるシエルバ・マリアの元に、司祭の弟子であるカエターノ・デラウラが現れた。
デラウラには特定の職責はない。肩書も図書室司書というものだけだったが、司教との近しさから、事実上の司教代理と見なされていた。
デラウラは、シエルバ・マリアを知らなかった頃に、彼女の夢を見たことがあった。

“デラウラは、シエルバ・マリアが雪に覆われた原野の見える窓の前にすわって、ひざにおいた葡萄をひと粒ずつむしって食べているのを夢に見たのだった。彼女が葡萄の実をひと粒むしると、房にはすぐさまもうひとつ実が芽生えた。夢の中では少女がその無限の窓の前にすわって、何年もそのブドウの房を食べ終えようとし続けていることが明らかで、また、急いでいないことも見て取れた。なぜなら、最後のブドウには死があることを彼女は知っているからだった。

それと同じ夢をシエルバ・マリアも見ていた。彼女の口から夢の話を聞かされたデラウラは、恐怖の鞭に打たれるのを感じた。


物語はこの後、シエルバ・マリアとデラウラのロマンスを主軸に展開していく。
ロマンスといったが、シエルバ・マリアがデラウラに抱いている好意が恋情かどうかははっきりしない。親から顧みられることなく、奴隷小屋で育った彼女は、12歳という実年齢より精神が幼い。人から愛情を与えられる経験のなかった彼女は、愛にはいくつもの種類があることを知らないのかもしれない。デラウラの訪れを喜び、不潔だった独房を片づけたり、見張り番に見つからないように図ったりするが、それを恋人との逢瀬のためと捉えているのかは不明だ。
デラウラの方は明確に肉欲を伴った恋情を彼女に抱いている。
彼は肉欲を戒めるために己の体を鞭で打つ一方で、シエルバ・マリアを喜ばせるために菓子を携え、下水路を辿り、壁をよじ登って、彼女の独房を訪れる。二人で寄り添い、詩を唱和し、たった一晩で一生分を愛しあったような時を過ごす。シエルバ・マリアを修道院から解放し、自分も教会から離れ、二人で暮らすことを夢見るようになる。ついには、「精霊は信仰よりも愛の方を重んじる」と、発言するに至る。

侯爵の意志の弱さとか、デラウラの躊躇いとか、修道院長の悪意とか、マルティナの脱走とかが嫌な化学反応を起こして、シエルバ・マリアの運命を暗転させていく。
最も印象強烈な登場人物であるベルナルダは、徹底的な無関心のためか、案外娘に及ぼす影響は少ない。
シエルバ・マリアにとって希望の光だったアキーノ神父は、彼女を救う前に謎の死を遂げてしまう。デラウラは異端審問所に引き渡され、有罪とされる。それは大変なスキャンダルとなり、彼を寵愛していた司教は、民衆の反発によって心をかき乱される。シエルバ・マリアは、たちの悪い悪霊憑きとして過酷な悪魔払いを受ける。拘束着を着せられ、デラウラから貰った数珠は引きちぎられ、結婚の日まで切らないと誓いを立てていた髪は刈られた。彼女は聖職者たちを悪魔みたいだと思った。

シエルバ・マリアは、デラウラがどうして来なくなったのか、ついに知ることがなかった。
連日の悪魔祓いですっかり痩せこけ、生きる気力を失った彼女は、再び雪の降る荒野の窓の夢を見た。もはやデラウラのいない、二度と戻ってくることもない窓だった。彼女は金色の葡萄の房を最後の一粒まで息もつかずに食べた。
第六回目の悪魔払いの日の朝を迎える前に、シエルバ・マリアは死んだ。剃り上げられた頭骨からは、新しい髪があぶくのように湧き出し伸びていた。

両親から見放され、アフリカの風習を身に着けて育った少女が、犬に噛まれたことをきっかけに、悪霊憑きとして虐待を受ける。本当に彼女が狂犬病に罹っていたかどうかなど、誰も問題にしていない。教会の権威が絶対だった中世において、愛は救いとならず、寧ろ知性につけ込む悪霊の一種としか見なされなかった。デラウラとの愛がシエルバ・マリアの悪霊憑きの決定的な証拠とされ、その愛ゆえに彼女は死んだ。救いようのない話だったが、死臭と花の香りに包まれた甘いラブストーリーでもあった。「精霊は信仰よりも愛の方を重んじる」というデラウラの確信は、ある意味正鵠を得ていたのかもしれない。
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