「 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。」
詩編 23編 6節
この「 帰り 」は、「 住まう 」とも訳すことができ、また「 私の安息 」 とも訳すことができる形です。
これは特に注目すべき聖句です。私たちはこの世にある限り、悲しみと、苦しみに追い回されるものだと思っていますが、
これに反して、ダビデはただ恵みとあわれみが毎日彼に添いきったと歌います。
何の心配もない生活。将来に対する身も細る不安もない生活。素晴らしい生活です。詩編の真珠と言われているこの短い二十三篇を
読み、神を信じて生活するならば、どんなに満たされた、幸福な生活をすることができるかということがよく分かるでしょう。
この詩編を書いたのは感傷的で夢の多い詩人ではありません。ダビデは一般の人以上に、何度も苦しい試練をなめた王でした。
彼はまた、罪に負けると言うことが何を意味するかを知っていた人でした。にもかかわらず、ダビデは神を信じ、主がダビデを守り、
恐ろしい危険から救い出してくださる誠実な方であることを悟ったのです。
この神の家に住むと言うことは常に主イエスのライフワークでもありました。「 どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の
家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 ルカ 2:49
また、「 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、
どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。 」 Ⅱコリント 1:4
そして次の約束があります。「 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それ
は喜ばれることです。 」 Ⅰペテロ 2:19