自分の命が後いくばくも無いと知ったときに神に祈った言葉。
「 私の命は一年です。あなたの成しうる限りに、私を用いてください。」 ジャンヌ・ダルク
「 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。
しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)」 塚本訳 ヨハネ 12:24
十字架を目の前にされたイエスはここで死んで生きる生き方を教えられました。自我の追及をやめ、自我に死ぬ生き方こそ、
実り多き生き方だと教えられたのです。( 自我・利己主義について。安全でありたいという欲求に動かされて、自分の出世と
自分の身の安全、この二つが生を駆り立てる力、 )
それに続いて、イエスはここで 「 仕える 」 生き方を教えられました。救世軍の創設者ウィリアム・ブースも
「 私たちが救われたのは仕えるためだ 」 と言いました。人のその生き様は、その人が何のために命を捧げるか、
何に仕えているかで決まるといった人もいます。金銭に仕え、金の奴隷となり、肉欲に仕える人は「 ほろび」 の道をたどります。
しかし、神とその愛に仕える人は天国 (神の国・王国) の報いを受けるのです。イエス・キリストに仕える、愛といのちに仕えると
は、いつもイエスと共にいて、いつもイエスのことば、神の言葉を聞くことです。そして聞いたら素直に従うことです。
「 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、
わたしのために(この世の)命を失う者は、 (永遠の)命を得るのだから。」 塚本訳 マタイ 16:25