「 私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。
どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。 」
詩編 142 編 6節
人にひどくばかにされた、見下された、無視されたと感じたことはありませんか。本当に嫌なものですね。
そのような 「 被害者意識 」は悲しくて、自分ではなく、人を裁きたくなるものですが、それは
私たち自身のひがみである場合が多いものです。他人は、自分のことで精いっぱいで、
そんなに私たちのことに関心がないのです。それなのに、ひがみ根性で、ひどくおとしいれられたと感じて、
その人を恨み怒り、復讐心に燃えるような攻撃的態度を取ったり、へたばってしまうこともありますが。
ひがんだり、怒ったり、ベッシャンコになったりした方が負けです。そうは言っても、その人を裁きたくなるものです。
裁くのは至極簡単ですが、主イエスが言うように人を愛することはとことん難しいものです。
ではどうしましょうか。
第一にどんな時、どんなところでも神を認めること、第二に、神を畏れて ( 恐れて ) 悪から離れること、
第三に、こころを尽くして神により頼むことです。そのとき、神はあなたの道をまっすぐにし、
あなたの首を高く上げてくださいます。
聖書から少し。
「私を恐れさせないでください。あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。 」 エレミヤ 17:17
「私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。 」 詩編 91:2
「それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 」 詩編 91:9
「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。 」 詩編 91:14