「 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
ヨハネの福音書 10章 11節
まず 「 良い」 について、ギリシャ語では、この良いと言うことばは二つあります。一つは、「 アガソス 」と 「 カロス 」
このアガソスと言うことばは、単に道徳的に優れていることを言います。
カロスと言うことばは、ただ物とか人とかが良いというのではなくて、良いと言うことの中に、
魅力的で人を引き付ける要素があるというのです。イエスが良い羊飼いであると言うとき、その言葉はカロスです。
イエスの中には能力とか誠実さ以上の何かがある。そこには一種の優しさもあります。
ここで主イエスが言いたいことは、報酬目当てに働くものは、金以外のことは何も考えないという点でした。
しかし愛のために働く人は、何よりもまず、自分が仕えようとしている人々のことを考える。主イエスは良い羊飼いでした。
主イエスはその羊 ( あなたまたは私 ) を深く愛し、その安全のために危険を犯し、遂にはその命を与えてくださったのです。
さて、私たちには人生の導き手が必要です。何故なら私たちは羊のように迷ったり、つまずいたりするからです。
そのとき主イエスが私たちの導き手となり、わたしたちのいのちのためにご自分の命を捨ててくださいました。
私たちは、その生涯の中で一度ならずだれにも話せない問題を持って悩むことがあります。そうしたとき、
イエスの名によって全能の神に祈り、答えをいただくことができます。救い主イエスは私たちを受け入れ、
罪を赦し、新しい霊的命を与え、生きるためのエネルギーを与えてくださいます。