「 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカの福音書 22章 32節
まず最初に、キリストを信じたときから試練は必ず起きる ( この人生においても、試練というものはありますが、
この主を信じたときから起きる試練とは大分異なります。) ここでは、試練がなくなりますようにとは祈らずに、
信仰がなくならないようにと祈られています。またふるいにかけられて益々純粋に磨かれていくのです。
それも主の恵みによってです。
この箇所は、イエスがご自分の受難を予告された時、メシアとしての使命の完成がどのような結末になるかを、
つかめていないペテロに言われた言葉です。この後自分に背くことを知りながらも、改心した後のペテロを信頼して、
兄弟の面倒を頼まれるイエスのペテロへの、心の温かさがにじんでいます。
そのことは、現代の私たちへの信頼を込めた愛の励ましでもあります。また、イエスがご自分を裏切るものを完全に
赦す愛の深さの開示ともいえるでしょう。
イエスは遺言として、ヨハネ福音書 13章 34で
「・・・。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 と言われました。
私たちも好きな人、気の合う人が愛し合うだけではなく、気の合わぬ人、裏切る人をも許し愛する、
キリストの道を歩けるように努めたい。
聖書から
ルカ 22:31
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」
Ⅰペテロ 1:7
「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、
イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」
ヘブル 11:6
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」