「…… 。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。… 」
詩編 23篇 3~4節
近代生活は、多くの物に囲まれて一見豊かに見えますが。決してそうではありません。科学・医学の発達で長命になっていますが、
何時か必ず別れが来ます。( このことだけは全ての人たちに公平にやってきます。) すべてを残して裸で旅立つ日が来ます。
何一つ、そうです何一つです。権力も、身分も勿論しこたまため込ん財産も残していくのです。
そのとき、神が共にいてく下さり、神に従うことを知っておればひとりで旅立つ寂しさはありません。そこに平安が、真の平安が
あります。また神の国が待っているという事実を思い歓喜にあふれているのです。
神に背を向け、死という苦痛に捕らわれる私たちは、悔い改める日々の中に得るものがあります。それは、神と共に如何なることも
歩み通す喜びです。神に目を向け、神と共に歩みましょう。それを神は願っておられるのです。
聖書から
詩編 27:4~5
「 ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。 災いの日には必ず、主はわたしを仮庵にひそませ/幕屋の奥深くに隠してくださる。岩の上に立たせ 」
詩編 27:13 ~14
「 わたしは信じます/命あるものの地で主の恵みを見ることを。主を待ち望め/雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。」