「ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。」
ルカ 15章 22節
父親が受け入れるというところまでは、罪の赦しであり、神の憐れみでした。しかし、ここは神の恵みが取り扱われています。
放蕩息子は私たち人間を、父親は神を表しています。放蕩息子がすべてを無くして帰ってきたとき、
父親は三つのものを準備して息子を迎えました。一番最初にしたことは、最上の着物を着せたことです。
これは信仰上大切な教えを含んでいます。人間の生活はある意味では失敗と過ちの繰り返しですが、
神はイエス・キリストのゆえにきれいな義の着物を準備して、私たちに着せてくださいます。キリストにある再出発がここにあります。
次に、父親は指輪を与えました。これは飾りであり、信仰的には徳であります.キリスト者が一番の飾りとすべき者は善行です。
( 但し、この善行によっての救いはありません。救いはあくまでも恵みの賜物ですから。)
新しい再出発の生活に伴ってくるのは、神のみ前に、また、人々に対して最善のことをしていくという生活の飾りです。
神は私たちを愛し、ただ罪を赦してくださるだけでなく、神の子どもという特権を与えてくださいました。
神の持っておられる資産を、私たちは受け継ぐことができるのです。
使徒ヨハネがヨハネ1:12で言った言葉です。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになっ た。」
何も資格のない者、むしろ罪の報いを受けて然るべき者が、そのまま神の息子 としての祝福を受けることができる、
というのは私たちには決して理解できるものではなく、ただ主 をほめたたえるしかありません。