マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

帰ってきた放蕩息子

2018年05月04日 | キリスト教

 「ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。

それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。」                                                                   

                                  ルカ 15章 22節

 

父親が受け入れるというところまでは、罪の赦しであり、神の憐れみでした。しかし、ここは神の恵みが取り扱われています。

放蕩息子は私たち人間を、父親は神を表しています。放蕩息子がすべてを無くして帰ってきたとき、

父親は三つのものを準備して息子を迎えました。一番最初にしたことは、最上の着物を着せたことです。

これは信仰上大切な教えを含んでいます。人間の生活はある意味では失敗と過ちの繰り返しですが、

神はイエス・キリストのゆえにきれいな義の着物を準備して、私たちに着せてくださいます。キリストにある再出発がここにあります。

次に、父親は指輪を与えました。これは飾りであり、信仰的には徳であります.キリスト者が一番の飾りとすべき者は善行です。

( 但し、この善行によっての救いはありません。救いはあくまでも恵みの賜物ですから。)

新しい再出発の生活に伴ってくるのは、神のみ前に、また、人々に対して最善のことをしていくという生活の飾りです。

神は私たちを愛し、ただ罪を赦してくださるだけでなく、神の子どもという特権を与えてくださいました。
 
神の持っておられる資産を、私たちは受け継ぐことができるのです。

使徒ヨハネがヨハネ1:12で言った言葉です。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになっ た。」
 
何も資格のない者、むしろ罪の報いを受けて然るべき者が、そのまま神の息子 としての祝福を受けることができる、
 
というのは私たちには決して理解できるものではなく、ただ主 をほめたたえるしかありません。
 
 
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