「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、
御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」
ローマ 8章 32節
神とともに歩く私たちには、いつも神が第二第三の道を備えてくださっていることを知らなければならない。
一つの道が塞がれ、失敗に見えても、神は次の道を備えてくださるのです。どの道が一番良いか、
あるいはよかったのかは、時間とともに、神が示してくださる。大切なことは、「神が私を顧みてくださること」
を知っておくということです。どの道に導かれても、自らを低くし、委ねることを学んでいきたいものです。
私たちが出会う苦難と迫害について、いたずらに不安にかられることはない。なぜなら、神が我々の味方であるなら、
誰も敵対できないからです。
ローマ8:33-34
「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるイエス・キリストが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです。」
この地上で理解されず、人々から捨てられ、一人にされても良いではないか。神は共にいて下さり、私たちを知っておられるのだから。
イザヤ49:4
「私は思った。私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である」。