「主よ、わたしがあなたと論じ争う時、あなたは常に正しい。しかしなお、わたしはあなたの前に、さばきのことを論じてみたい。
悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。」
エレミヤ12:1
これは、普遍的な問題です。義の神がおられるならなぜ悪者が栄えるのか、という疑問です。
また詩編(73:11~13)の記者もこう言っています。「… 彼らは言う。「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。」見よ。
悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。確かに私は、むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくしたのだ。」
「悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。悪い者には良い終わりがなく、悪者のともしびは消えるから。」
箴言24:19~20
神が正しいこと、心の清い人々に慈しみ深いことを知っていましたが、でも悪者、高ぶる者が栄えるのを実際に見ます。
それで信仰から離れてしまいそうだ、という弱さを打ち明けているのです、「不条理」という言葉があります。
「物事が理に適わない」ことです。まさに、神様を信じない人の世はそのようなところです。
だからと言って、神様が不在ではなく、無能無力でもありません。やがて神様の時が来れば、
全ての理非が明らかになります。それを信じることが信仰です。
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、
あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」 詩編 73:28
「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。
今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 」
Ⅰコリント13:12