マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

愛する者たちへ

2018年06月22日 | キリスト教

「 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、

               愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」

                                    Ⅰヨハネ 4章 7節

ここでの「愛」は、アガペーというものです。肉体的な愛であるエロス、精神的な愛であるフィレオと異なります。

霊的な愛であり、与える愛です。この愛をもって人を愛するのは、神から生まれた者であり、

神を知っている者でなければできません。なぜなら、その愛は神のみから出ているからです。

私たち人間には備わっていないものです。私たちは、イエスを通して神の愛を知った。

だから私たちは自分以外の人たちを愛していく。なぜなら、私たちの根幹には自己愛しかないからです。

(ただしこの自己愛というものも私たちが生きていくうえでのとても大切なものです。)

今から四百数十年前、この日本に初めてキリスト教の宣教師たちが渡来した時、

彼らが伝えたかった福音 ― 良き知らせ ― の神髄は「神の愛」でした。

八百万の神々と区別するために「デウス」を用いた宣教師たちは、愛にもっともふさわしい言葉として、

「ごたいせつに」という言葉を選びました。そして、「あなた方一人ひとりは、デウスのご大切なのですよ。

身分、才能、性別、年齢、財産などと一切かかわりなく、神のみ前にかけがえのない価値あるものなのです。

だから、自分を粗末にしてはいけません。自分を大切にしてください。」と語りかけたということです。

「あなたがた」すなわちあなたを含むすべての人を神は大切に思い当てしておられるのです。

あなたは今誰かに愛されていると思えなくっても、世界中でたった一人だと悲しく思っていたら。

このイエスをあなたの心にお迎えしてください。イエスはあなたを待っておられるのです。


 

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