「まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、
遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。」
ヨハネ 13章 16節
十字架につけられる前の晩、弟子たちと夕食を共にしたとき、主は、上着を脱ぎ、恐らくは上半身裸になられ、
腰に巻くと長く垂れる手ぬぐいを身につけました、まさに奴隷の姿になって弟子たちの足を洗い始めました。
弟子たちは驚き、ペテロは、「足など、決して洗わないでください」といったと記されています。
主は、「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何のかかわりもないことになる」と答えられました。
汚い足は、私たちの罪を意味しています。主は、私たちの罪を身代わりになって神のさばきを受けてくださいました。
私たちがなにか立派な人間だと思っているのなら、主とは何の関係もない、醜いボロボロの自分で主のもとへ行くとき、
はじめて主との関係ができるのです。主は、私たちに仕えてくださるために、命をも献げてくださったのです。
さて、このペテロとイエスの会話は、神と私たちとの関係を知るのにとても大切な真理を伝えています。
第一に、神の一方的な愛と恵みを私たちが受け入れなければならない、ということです。
ペテロは、イエスに自分の汚い足を洗ってもらうなんて、あまりにも畏れ多いことだと思いました。
けれども、このあまりにも畏れ多いことを自分がしっかり受け止めることによって、
神がいかに自分を愛してくださっているのかを知ることができます。
天地を創造しすべての権威を持っている方が、私の汚れを洗ってくださるのかということに気づいたとき、
私たちの心は一変するのです。ペテロは、自分で足を洗わなければいけないと感じていたことでしょう。
けれども、もしそこでお返しをしてしまったら、神の一方的な愛は伝わらなくなり、その人の心は変わりません。
自分の行ないを付け加えることによって、すべて台無しになってしまいます。
そこでイエスは、「わたしが行なわなければ、あなたとは何の関係もない。」と言われたのです。
私たちも同じです。クリスチャンから愛を受けるときに、それを全身でしっかりと受け止めなければいけません。
そして、神はこのようにすばらしい方なのかと思って、神への憧憬と感謝に満たされる必要があります。