マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

いつか別れが来ます。

2019年08月02日 | キリスト教
「魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」
                    詩編 23篇 3~4節

ここに、クリスチャンの特権が書かれています。死ぬ際に、災いを恐れないで死ぬことができる。

主が、死ぬ直前にも死の直後にもともにおられるという確信があるから、

恐れないで死ぬことができる、という特権です。

近代生活は、多くのものに囲まれて一見豊かに見えますが、決してそうではありません。

科学・医学の発達で長命になっていますが、いつか別れが来ます。すべてを残して裸で旅立つ日が来ます。

その時、神が共にいてくださり、神に従うことを知っていれば、一人で旅立つ寂しさはありません。

そこに平安が、真の平安があります。神に背を向け、死という苦痛に捕らわれれる私たちは、

悔い改める日々の中に得るものがあります。それは、神と共にいかなることも歩み通す喜びです。

神に目を向け、神と共に歩みましょう。

私たちは鞭を嫌がります。自分が行きたい方向に行かせてくれない杖を嫌がります。

けれども、私たちを愛して、命を捨ててくださった方の鞭と杖は、狼から、

悪い者から私たちを守ってくださるものです。だから、それは痛みでも不快でもなんでもなく、

むしろ「慰め」なのです。

主が共におられるその義の小路は、死を予期するようなことが起こっても、それでも恐れから守られた状態です。

ヨブ 1:21
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

伝道者の書 5:14
「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。」

イザヤ41:10
「恐れることはない、私はあなたと共にいる神。たじろぐな、私はあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、
私の救いの右の手であなたを支える」。
 
 
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