「魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」
詩編 23篇 3~4節
ここに、クリスチャンの特権が書かれています。死ぬ際に、災いを恐れないで死ぬことができる。
主が、死ぬ直前にも死の直後にもともにおられるという確信があるから、
恐れないで死ぬことができる、という特権です。
近代生活は、多くのものに囲まれて一見豊かに見えますが、決してそうではありません。
科学・医学の発達で長命になっていますが、いつか別れが来ます。すべてを残して裸で旅立つ日が来ます。
その時、神が共にいてくださり、神に従うことを知っていれば、一人で旅立つ寂しさはありません。
そこに平安が、真の平安があります。神に背を向け、死という苦痛に捕らわれれる私たちは、
悔い改める日々の中に得るものがあります。それは、神と共にいかなることも歩み通す喜びです。
神に目を向け、神と共に歩みましょう。
私たちは鞭を嫌がります。自分が行きたい方向に行かせてくれない杖を嫌がります。
けれども、私たちを愛して、命を捨ててくださった方の鞭と杖は、狼から、
悪い者から私たちを守ってくださるものです。だから、それは痛みでも不快でもなんでもなく、
むしろ「慰め」なのです。
主が共におられるその義の小路は、死を予期するようなことが起こっても、それでも恐れから守られた状態です。
ヨブ 1:21
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
伝道者の書 5:14
「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。」
「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。」
イザヤ41:10
「恐れることはない、私はあなたと共にいる神。たじろぐな、私はあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、
「恐れることはない、私はあなたと共にいる神。たじろぐな、私はあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、
私の救いの右の手であなたを支える」。