「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
マタイ 5章 16節
マタイ 5章 16節
「ひと 見るも良し ひと 見ざるも良し 我は策なり」素敵な言葉だと思います。
数多くある花の中には、目立つところで咲き、人々からもてはやされる花もあれば、
ひっそりと庭の片隅や野に咲く花もあります。ひとさまが褒めてくださるとは本当にうれしいものです。
でも、目立たない存在であり、目立たない立場に置かれる時期にあっても、
「わたしは咲いています」と野の花のように、くさらずしっかりと自分の花を咲かせたいものです。
花本来の使命は、人からの評価にあるのではなくて、ひたすら咲くことにあるという美しくも
力強い姿にあると思います。
私たちが世の光として輝く結果、人々が私たちをほめたたえるのではなく、
神をあがめるようにならなければなりません。私たちが何か良い事をすると、
人々は必ずといってよいほど、私たちに感謝し、私たちが何とすばらしい人なのかとほめたたえます。
けれども、その時に、「私たちではなくて、私たちのうちにおられるキリストがしてくださったのです。」
と証ししなければなりません。栄光は、私たちにではなく、神に帰されるべきです。
自分の信仰、神に対する希望をただ心の中に留めていくことだけでは不十分だということです。
信仰とは公にするものです。口で告白するものです。そして教会のみならず、世の人に対しても
明らかにすることです。これには危険が伴います。
なぜなら、自分がキリストにそぐなわないことを行なえば、すぐに周りの人はそれを認め、
「だからクリスチャンは・・・」と言って、キリストの名が侮られる可能性があります。
けれども、私たちはキリストの使節です。出て行き、キリストの権能を携えて、その力を行使する者たちなのです。