「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
マタイ 5章 10節
ここで考えなければいけないのは、それは、第一義的に神との平和です。
一人ひとりが、罪の赦しの必要があります。家族の一人ひとりにも罪の赦しの必要があります。
これは家族といえども代わって赦しを受けることはできない。その心の一新があってこそ、真の平和が訪れます
「正義」「平和」という言葉がよくつかわれますが、それは社会的に大きなことだけとは限りません。
人と人との関わり合いにもそれが必要です。お互いにかけがえのない兄弟であり、
社会を作っていく仲間であるということを全面的に認めた時に、好き嫌いによって過大評価をしたり、
過小評価をする資格や権利のないことが分かると思います。そこには正義があります。
感情的で生理的な好き嫌いは一生付きまとうかもしれませんが、お互いに欠点を持ち、迷惑をかけながらも
一人ひとりを大切にし、 支えになっていこうととする時、平和があるのだと思います。
それは、キリストの兄弟である小さな一人に、自分の方から隣人になっていくという積極的な姿勢と、
毎日毎日、自分自身の矛盾と闘いながら、少しずつ前進していく努力です。もうこれでよい、
という時は決してこないものなのではないでしょうか。
面白い事に、私たちが悔い改める事によって、世から迫害を受けます。なぜなら、世は、心の貧しいもの、
悲しむもの、柔和な者、義に飢え乾いている者、人をあわれむもの、心の清いもの、平和をつくる者が嫌いです。
そういう人たちが自分たちの中にいたら、迫害し始めます。
コロサイ1:13
「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」
「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」