「イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
マタイ 18章 22節
七回まで赦すべきでしょうか、ということですが、当時ラビは三回までと言っていましたか、
相当頑張っているのです。けれども、それは彼の誇り、自慢の裏返しでもあります。
私たちが真面目に頑張る時に、イエスは完全に打ち砕くようなことを言われます。
なぜなら、天の御国は私たちの功徳ではなく、神の恵みによって成り立っているからです。
イエスは、「七回を七十倍するまで」と言われました。
このことについて、「主よ。私は自分では赦せません!」と叫び声をあげるのではないでしょうか。
つまり、私たち人間が思いつく赦しと、神の考えておられる赦しとは、桁外れに違うのです。
私たちの持っている能力や性質は、それぞれに様々です。聖書によれば、それはみんな神からのプレゼントです。
神が世界をお創りになった時、「すべてのものは極めて良かった」と創世記にしるされています。
すべてが最高に良かったのです。もともと良いものを、悪くしてしまうのは私たちの見方や考え方が
間違いやすいからではないでしょうか。他人との関係や社会の約束事の中では短所と思われていることが
本当は、私たちが生きていくためになくてはならない大切な性格や能力であることが多いのです。
その社会的には「短所」と見られがちな事柄を「長所」とするのは、本人の謙虚さと、どんな小さな人々をも
慈しみの眼差しで見守ってくださる神のような愛の豊かさに生きようと努力する人々の広い心ではないでしょう。