「 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。」
マタイ 25章 31節
「人の子」とはメシア・イエスことです。
その方が「栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき」とは、メシアの地上再臨を指します。
その時、キリストは、信じている者たちのために、報酬を与えるために戻ってこられます。
そして、ここからはご自分が地上に戻っておられる話をしています。
まず、イエスは、地上に来られると、神の御国における栄光の位に着きます。
おそらく、その座は「ダビデの座」と呼ばれ、エルサレム(シオン)に据えられます。
人の子であるイエスが、ハルマゲドンに集結した反キリストによる異邦人の軍勢をエルサレムにおいて滅ぼした後に、
地上で御国の王となり、栄光の座に着かれるのです。これはイザヤ書9章7節の成就です。
さて、この世の中で善く生きた人間は、死んだ後に善いところに行く。悪く生きた人間は悪いところへ行く、
こういう思想は世界の至る所、あらゆる民族のうちに何らかの形で見いだされる。
ソクラテスは人間の魂の不死であることを証明しようとして、いよいよ死が迫ってきたところで、
死んだ後に善い魂は善い所に行く、自分は善く生きてきたからこれから行くところで、善い人に出会うのが楽しみであると、
そのようなことを言っています。また仏教のほうでも地獄と極楽ということを言います。
キリスト教においても、天国と地獄ということが語られています。不思議な一致ですが、
キリスト教以外の死生観は「恐れ」に成立っており。そこの「根」のところが大いに違うのです。
私たちは知っています。主イエスに助けられて初めて善く生きることができるということを。
イザヤ 9:7
「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、
その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。
今よりとこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。」
コロサイ 3:4
「 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、
あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。」