「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。」
詩編 107篇 6節
私たちは苦しみの中にいるまで主に祈らないことがあります。
日本式にいえば、「困った時の神頼み」ですね。
けれども、それでも主は私たちの苦しみの中からの祈りを聞いてくださいます。
人生には、様々な試練があります。しかし神はそのさまざまな試練を一つ一つ恵みに変えて下さるお方です。
此処の聖句では、そのことを歌っています。この6節は苦しみの時の祝福です。
深い深い、暗いくらい井戸の底から見上げると、昼間でも星が見えると言います。
その真昼の星のように、普通では見えないものが、人生にはいくつもあります。
それは、暗い井戸の底から見上げた時に見えるのです。
食べるものや着るものに困らなかった時には見えなかった人の優しさや親切が、
貧乏のどん底に落ち込んで見上げるとき、見えてきます。もう他には何の助けも求めることができない苦しみの時、
ひたすら上に向かって叫ぶと神の救いの恵みが見えてくるのです。人生にはいろいろなことが起きてきます。
しかし神を求める者、祈る者にとっては、そのいろいろなことが、すべて神からの祝福と変えらる可能性があるのです。
すべての艱難、災いがあろうと、そこには神がおられることを知っていただきたい。
ヤコブ 5:13
「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」
ヘンリー・ナウエンは『いま、ここに生きるー生活の中の霊性―』という本の中で、
「予期せぬ喜びに気づく」ということを述べています。
「私たちの住むこの世界は、悲しみに気づかせようと迫ります。
新聞は交通事故や殺人、また個人やグループ、さらに国家間の争いについての情報をとめどなく流しています。
・・そして私たちは、人と出会うとこう言います。『このことほ聞いたかい。あのことを見たかい。ひどい話だろう。とても信じられないよ。』
・・・予期せぬ喜びとは、ことが思いがけなく好転したことを指すのではありません。
そうではなく、すべての暗やみより神の光の方がはるかに現実性があること、すべての人間の偽りよりも神の真理のほうが強力であること、
そして、神の愛は死よりも強いことに気づくことからきます。」(36, 41頁)