「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。」
ルカ 18章 9節
ここのパリサイ人の姿を見て、いかにも独善的な嫌な人だなと思うかもしれません。
けれども、イエス様は「努力して狭い門から入りなさい」とかって言われました。
普通にしていたらパリサイ派的なのが私たちであり、人間です。福音を信じて、その中に生きる人は少数なのです。
パリサイ人がそうでした、そしてイエスは、このパリサイ人は神から遠い所にあると言われました。
高ぶる心の人は奉仕ができなくなります。報酬をもらい、あるいはそれ相当の評価を受けるとき、人は働きやすいものです。
そうした働きも大切ですが、人の目にふれないが、他の人のために働く奉仕の生活も大切です。
この奉仕は、神に信頼し、神にのみ信頼し、神にのみ期待する信仰と密接にかかわっています。
これは、自分自身を信じて生きている人たちに向けられたたとえです。
日本人の多くの人が、「私は自分を信じて生きる。」と言いますが、そのような人の心の状態は真実平安なのでしょうか。