「すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
出エジプト 33章 14節
クリスチャンもそうでない人も問題を持ちます。同じ不幸が押し寄せます。
病にかかるとクリスチャンは、なかなか薬を飲まないそうです。
それは自分が病気にかかっていることを認めたくないし、
クリスチャンが特有に持っているプライドがあるからです。
でも、私たちはまったく同じように問題を持ちます。
違いは、主がともにおられるか、そうでないかであります。
主がともにおられるかそうでないかによって、
その人がクリスチャンかそうでないかの決定的な違いがあるのです。
主は私を見上げて、「 さあ。来なさい 」 と。愛の慈しみに満ちた瞳で私を下から見上げている。
どうしょう。踏み出せば良いだけの事なのに、何かが、私を後ろに尻込みさせる。
それは、私の自我か。自分は汚れていない、とうそぶく、自分を覆い隠す自分がいる。
それも、主は承知の上で、たらいに水を入れて待ってくれている、なんと感謝な事でしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます