主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。
詩編 130 篇 1 節
人は追い詰められ、出口の見えない深い淵にまで落ち込まないと自分の罪が見えない。
「もうだめだ。もう終わりだ」、その極限に追いつめられて人は主を求め、叫ぶ。
この体験をした者は絶望の淵にあってもなおも希望を持つ。
なぜなら神は「罪に目を留める」方ではなく、「憐れまれる」方であることを知る故だ。
ほとんどの人は自分の力ではどうにも出来ない罪と死の深い淵に落ち込みながら、
まず第一段階に、その事実を否定するそうです。
「やめる気になればいつでもやめられる 」と深い淵にはまり込んでいることを認めないそうです。
第二の段階は、そこからの脱出の方法を探究するそうです。
始めは理性的に、自分の知恵と力によって脱出の道を捜しますが、次第に焦り、もがく様になるそうです。
そして第三の段階は、
もう駄目だと絶望して立ち上がろうとしないのだそうです。
人が真実、神を呼び求める時、人はその淵から立ち上がり、抜け出る。
人は神から離れ神をないがしろにした時から、底なしの深い淵に捕らえられていくのです。
しかし、自分の力ではどうにもならないと、知らされて、その深みから、神を呼ぶとき、救い出されるのです。
あなたは今、何段階の状態でしょうか。
主はあなたに速く気付いて欲しいと思っておられます。
この第三段階は、つらくて、苦しんですが、でも、ここが主に出会う所となります。
主はあなたより先回りして、その最悪の底で傷ついた諸手を広げておられます。
私たちにとって、最悪の事態が、最良の時となりうるのです。それは、主イエスを信頼するときにです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます