カッコイイオトナのオンナとも、素敵な女性ともほど遠いけれど、アラフォーとなって、ぐっと生きやすくなりました。なぜなんだろうと、ずっと考えていたのですが、今日読んだメルマガでちょっとヒントがありました。
人間は外面的成長(身体だけでなく社会的になど)と内面的成長があり、それぞれ年齢や人としての成長レベルにも大きな違いがあるということ。
一般的に身体は時間とともに成長し20歳を過ぎれば外見はもう大人として周囲から見られるようになり、またそういうふるまいが要求されます。私は仕事を始めてから、しばらく、責任上、立場上「年齢よる上に思われたい」「しっかりしていると思われたい」と思い続けて、ミョーに気合を入れてお仕事している、いわゆる、無理している子でした。
しかし、一方で、内面の成長は時間の経過よりも、そのときそのときの満足感が成長の大きな要因になっているということがあるそうです。私は、そうした面では、あまり充足されずに、日々を送っていたように思います。甘えん坊で愛に飢えた子どもを自分の中に飼いながら、生きてた感があります。
27歳でパニック障害になった私は、まさに、「外面と内面のバランスが悪い子」だったんだろうなあ~と思います。
また、ちょっぴり辛い経験が、心の動きを完全にとめてしまった時期もありました。
しかし人間というのは、とてもうまくできているなと思えるところがあります。
40歳を不惑などと表現しますが人間は人生の真ん中あたりで上に書いたような内面と外見のギャップをうまく調整するような時期があるんだそうです。
私の場合、子どもが生まれ、ふたりの子どもを育てながら、なんとなく「せっかくだから、自分の中のこの妙に愛に飢えた子どももいっしょに育ててやろう」などと思っていました。実際、子どもを愛し育てるという生活は自分の中の子どもに愛情を与えることになりました。母親という役割も私の内面をごくごく自然に育てたと思います。そして、何より私は「母親」という役割がとても好きでした。
今でも大好きです。好きな仕事は人間一生懸命やるものですね。
放任主義で、温和な性格の旦那とか、よき先輩や仲間、周りの親切なオバチャン、何より、シングルマザー時代はまさに「戦友」だった長男(奴は、自閉症というハンデを持ちながらも、基本的にはふたりっきり生活をよく闘った)、やたら明るい次男などに囲まれて、自分の心と体がやっと同じ年齢になった気がしています。
今でも「外見は大人なのに内面には幼く弱く不安定で ぎこちない人」をみると、「ああ、何かが満たされないことで心の成長が阻害されてきたのかな~」と、結構親身になってしまう自分がいたりします。
とりあえず、人生折り返してみて、目標とか、生き方みたいなもんは、定まり、これから先がすごく楽しみ。でも、こんな風に楽しくなったのは、やはりある時期、もがきながらも自分の内面と向き合ったり、自分の弱さと闘ったり、考えたりしたからかなあと思います。
たぶん、そういう自問自答は一生続く、というか続けなきゃならないと思うのですが、今はただ、いろんなことを教えてくれたりお手本になってくれた人たちと、暖かい周囲と、私の学びや育ちを、今でも、放任主義で、笑いもんにしながら、見守ってくれる旦那に感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うね!
人間は外面的成長(身体だけでなく社会的になど)と内面的成長があり、それぞれ年齢や人としての成長レベルにも大きな違いがあるということ。
一般的に身体は時間とともに成長し20歳を過ぎれば外見はもう大人として周囲から見られるようになり、またそういうふるまいが要求されます。私は仕事を始めてから、しばらく、責任上、立場上「年齢よる上に思われたい」「しっかりしていると思われたい」と思い続けて、ミョーに気合を入れてお仕事している、いわゆる、無理している子でした。
しかし、一方で、内面の成長は時間の経過よりも、そのときそのときの満足感が成長の大きな要因になっているということがあるそうです。私は、そうした面では、あまり充足されずに、日々を送っていたように思います。甘えん坊で愛に飢えた子どもを自分の中に飼いながら、生きてた感があります。
27歳でパニック障害になった私は、まさに、「外面と内面のバランスが悪い子」だったんだろうなあ~と思います。
また、ちょっぴり辛い経験が、心の動きを完全にとめてしまった時期もありました。
しかし人間というのは、とてもうまくできているなと思えるところがあります。
40歳を不惑などと表現しますが人間は人生の真ん中あたりで上に書いたような内面と外見のギャップをうまく調整するような時期があるんだそうです。
私の場合、子どもが生まれ、ふたりの子どもを育てながら、なんとなく「せっかくだから、自分の中のこの妙に愛に飢えた子どももいっしょに育ててやろう」などと思っていました。実際、子どもを愛し育てるという生活は自分の中の子どもに愛情を与えることになりました。母親という役割も私の内面をごくごく自然に育てたと思います。そして、何より私は「母親」という役割がとても好きでした。
今でも大好きです。好きな仕事は人間一生懸命やるものですね。
放任主義で、温和な性格の旦那とか、よき先輩や仲間、周りの親切なオバチャン、何より、シングルマザー時代はまさに「戦友」だった長男(奴は、自閉症というハンデを持ちながらも、基本的にはふたりっきり生活をよく闘った)、やたら明るい次男などに囲まれて、自分の心と体がやっと同じ年齢になった気がしています。
今でも「外見は大人なのに内面には幼く弱く不安定で ぎこちない人」をみると、「ああ、何かが満たされないことで心の成長が阻害されてきたのかな~」と、結構親身になってしまう自分がいたりします。
とりあえず、人生折り返してみて、目標とか、生き方みたいなもんは、定まり、これから先がすごく楽しみ。でも、こんな風に楽しくなったのは、やはりある時期、もがきながらも自分の内面と向き合ったり、自分の弱さと闘ったり、考えたりしたからかなあと思います。
たぶん、そういう自問自答は一生続く、というか続けなきゃならないと思うのですが、今はただ、いろんなことを教えてくれたりお手本になってくれた人たちと、暖かい周囲と、私の学びや育ちを、今でも、放任主義で、笑いもんにしながら、見守ってくれる旦那に感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うね!