長男と次男で、たっぷり遊んだ、
ではなく、
長男と次男と、たっぷり遊んだ連休でした。
ふだん、みることのできない一面もみれて、とても嬉しかったです。私は何もしていないけれど、それぞれに成長しているように思わました。
現在、純粋に知能指数みたいな部分だけでは、
もうすぐ3才の次男は、8才で知的障害を持つ長男を抜いています。
しかし、私の心配を(次男が長男を馬鹿にするのではないか?)をよそに、
それで彼らの関係がどうにかなることは全くありませんでした。
むしろ、まだ「世間知や常識がない」「空気を読めない」「言葉ばっかり達者だけれど、身の回りのことはできない」次男を長男が気遣い、あれこれ注意したり、
逆に、長男が言葉足らずだったり、複雑で説明できないことを、口だけは達者で押しが強い次男がぺらぺらと代弁するというかんじ。(次男は押しは強いですが、オムツはとれない、自分でも何もできない)
今回の旅行でふたりをみていて、私は、「できることをできる人がやる」ということが、ごくごく自然に行われていることに驚きました。
長男はシングルマザーの家庭に育ち、さみしい思いをして育ちました。
だから家族を大切にする気持がひといちばい強く、とりわけ、夫と私といっしょに指折り数えて誕生を待った次男のことをとても大切に思っています。
自分ができないことを弟ができるようになっても、大切に思う気持は変わることはありません。
次男は家族全員から愛情を一身に受けて育ちました。
愛情をたっぷり受けて育った彼にとっては、人生とは希望に満ちていて、自分が常に守られ愛されてきたので、人とは、思い遣り愛するものだということが、あたりまえのように身についています。
彼はたぶん、家族の中でいちばん、明るく、前向きで精神的な安定感があります。
この安定感に私たち家族はかなり、救われています。
すでに、もう別々の道を歩みだしている彼ら兄弟ですが、別々の道を歩みながらもお互いを気にして、思い遣り、助け合い、応援しあっています。
いつまでもそうあってほしいと母は祈ります。
そして、障害を特別なものにしないで、「こういうもんだ」「違っているからフォローしよう」と自然に受け止めているふたりに、その自然体を忘れないでほしいと願ってやみません。