一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

過去ではなく、今を変える

2019-09-17 00:48:34 | 引き寄せの法則
昨日電話があった男との会話の後、一つだけ逡巡するものがありました。

「また大学時代の仲間と飲み会やりたいっすね」という、
彼からの言葉に対して、自分でも驚くほど「NO」と言い切ったこと。
改めて、自分がどうしてそこまで変わったのかということを。

数年前に覚醒(って自分は呼んでます)してから、
僕は「誰かの顔色」とか「誰かの心象」というものを一切気にしなくなった。

というのも、それまでは逆にそれらを気にし過ぎる傾向にあり、
競技に参加して暫くの間も、自分のそういった性質に何度も視野を曇らせてしまっていた。
遠慮したり、出過ぎないようにと発言を控えたり。
分かってもないのに、分かったような顔をして頷いてたり。

そんな自分が、イヤでイヤで仕方なかった。だけど変えるキッカケもなかった。

でも、競技で自分を鍛え上げ磨き続ける内に、自分の中で何かが産声を上げた。
そして同時に、周囲の人間の質までも変化し始めました。

それまで他者の足を引っ張り合って喜んだり、
何の努力もせずに自己正当化に奔るような周囲の人間たちはいなくなり、
気付けば、覇を競う清々しいトップ選手が僕の周りにいてくれるようになった。

覚醒したのは、ちょうどその頃でした。

もちろん、今でも誰に対しても礼節は守りますし、目上・目下関係なく僕は敬語に徹します。
(ブログでは散々毒吐いてますけどね)

ただ大きく変わったのは、誠意に対して誠意で応えてくれる人や、
あくまでもポジティブな人に限定して、それに徹するように変化したという点。
隙あらば足元を掬おうとする人や、ネガティブな人にまで誠意を尽くす事は辞めました。

そして、自分の信じた道は誰に何を言われたところで、何の影響もないこと。
真に心ある者、力ある者は、決してそんな僕を捻じ曲げようなんてしないこと。
有象無象に囚われて小事に感けていたのでは、大きな目標になど手が届かないということ。
それらの重要性に気付いた。

何よりも、「自分を信じてくれる人に必ず応えたい」という想いに、
ウソをつくのはたまらなく苦しいとも思った。


冒頭の、旧知人からの何気ない言葉に僕がハッキリ「NO」と答えたのは、
10年以上ずっとこちらに無礼の限りを尽くしてきた彼への決別の意思も勿論ありますが、
どうしても大学時代の自分になんて戻りたくないと、一瞬の迷いもなく思ったからです。

「あの頃の記憶は黒歴史だ、記憶からすっかり消していた」と告げる僕に対して、
「ええ?そうですか?楽しかったじゃないすか」と彼は言った。

きっと彼はあの頃のまま、変化していないのだろう。
幼稚でワガママで、無根拠なる自信に溺れていたいのだろう。
当時の僕がまたそうであったように。

それは彼の自由だ。

だけど当時の怠惰な僕であっても、知っていた事がある。

講義のない日でも一人、教室に籠って専門の勉強をひたすら続けていた友人の姿を。
学生ゆえの貧しさにも無理をせず、節制の中で正しく、真の楽しみを温めていた姿を。

僕はそれを見ながら、享楽的な自分の姿をどこかで恥じていた。
バイトに、女に、バイクに、夜を徹した遊びに興じた自分を、
これでもかという程、恥じていた。

果たして友人は、一つの目的を成就させた。
一方で、僕はまだ社会で悪戦苦闘しながら学びの途上であった。

でも、「この差は、当然の産物である」と、あの時しっかりと心に刻んで、
そこからの人生を自分なりに貪欲に「学習」へと捧げる覚悟をした。

過去の自分をぶん殴れるなら、何発でもぶん殴ってやりたい。

昨日電話してきた彼と、もう一切関わりを断ちたいと欲する理由は、
彼個人への嫌悪もさることながら、実はそういった忌むべき過去の自分の醜態を
否が応でも想起させるから、というのも少なからずあるのだろう。

過去は変えられない。
だけど、今は思い切り変えられる。
そうすれば、未来は必ずそこに反応する。

学びの遅い僕だが、そう思えるのであれば
あの自堕落で享楽的だった大学時代もあながち無駄ではなかった、ということだろう。









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