一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

「誤りに 後悔するより 喜びを」

2020-01-02 02:26:38 | 日記
ここ数年は、年末年始に実家を訪ねるのを意図的に避けている。

もちろん忙しいのも理由の一つだけど、
街中が浮かれポンチ(昭和)で混雑してて危なっかしいし、
何より年老いた両親に余計な気を使わせたくないから。
なので毎年電話だけするようにしている。

何の脈絡があってそんな会話になったのか分からないけれど、
「私らは子供たちへの教育を誤った、申し訳ない」と、やにわに母が言った。

どうやら、学歴や職の選択ばかりを強制してしまったと言いたいようだった。
その結果、学歴が処世の役に立たなかったと実感しているのだろうか。

ちょっと前に日記に書いた内容と被ったので、ちょっと複雑な感じがした。

しかし藪から棒に何故そんな話を?
兄が帰省していたから、母にそんな事を恨み節のように漏らしたのだろうか?
いやいや、いくら何でもそんな事を四十路を超えた男がすまい。
などと色々な思考が去来した。

だけど、僕らの人生の舵取りは僕らに責任があるのであって、
母も父も僕らを健康に、五体満足に生み、命がけで育ててくれた。
そこには一切の淀みなく感謝しかない。
各々に様々な思いがあろうとも、そこには感謝しかあってはならない。

学歴を例え親が強いたと言えど、それに「応!」と言ったのは当の子供たちであり、
それに親が責を感ずる必要などあろう筈もない。
もちろん、僕のように「否!」と答えた子供も同様だ。
全ては僕ら「子」の責任だ。

苦難や苦労はどんな道に進んでいこうが必ず現れる。
それをも親が自分たちの責と感じ、詫びたりするのは断じておかしい。
言葉を換えるなら、それは過干渉・過保護・越権とさえ言えるのではないか。

愛深きゆえにまた、ご自分たちを責めに責めて生きておられる。
だけど、仮に貴方がたが「誤りだった」と今にして感じるのであっても、
「それの何がいけないんだ?」と僕は思う。

人生は、過去で全てが終了するワケではない。
今をどう生きるかによって、未来が創造されていくものだ。

況してや間違いや誤りなどは、生きとし生けるもの全てが、
まさに現在進行形で毎日起こすものではないか。

親だから「一切間違ってはならぬ」なんて事はあり得ない。
間違わぬものなど一人として存在しない。

間違いこそが人を堅牢に、逞しく育て上げるのだ。
成功や正解などというものは、それら間違いや失敗を乗り越えてこそ
実り豊かな、喜び豊かなものとして完成するのだ。

そこで不貞腐れてしまうような未熟で脆弱な人間が、貴方がたお二人の子の中にいるか?
もしいるとするなら、そんな甘ったれはきつく叱責して然るべしだ。

「楽しんでナンボ、全部己の人生よ」とだけ母には告げた。

責任感の塊のような人。
いつまでも、全てを引っ被るような暮らし方はしないで欲しい。
貴方の子は、何よりも逞しく生きています。


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