ここ数年は、年末年始に実家を訪ねるのを意図的に避けている。
もちろん忙しいのも理由の一つだけど、
街中が浮かれポンチ(昭和)で混雑してて危なっかしいし、
何より年老いた両親に余計な気を使わせたくないから。
なので毎年電話だけするようにしている。
何の脈絡があってそんな会話になったのか分からないけれど、
「私らは子供たちへの教育を誤った、申し訳ない」と、やにわに母が言った。
どうやら、学歴や職の選択ばかりを強制してしまったと言いたいようだった。
その結果、学歴が処世の役に立たなかったと実感しているのだろうか。
ちょっと前に日記に書いた内容と被ったので、ちょっと複雑な感じがした。
しかし藪から棒に何故そんな話を?
兄が帰省していたから、母にそんな事を恨み節のように漏らしたのだろうか?
いやいや、いくら何でもそんな事を四十路を超えた男がすまい。
などと色々な思考が去来した。
だけど、僕らの人生の舵取りは僕らに責任があるのであって、
母も父も僕らを健康に、五体満足に生み、命がけで育ててくれた。
そこには一切の淀みなく感謝しかない。
各々に様々な思いがあろうとも、そこには感謝しかあってはならない。
学歴を例え親が強いたと言えど、それに「応!」と言ったのは当の子供たちであり、
それに親が責を感ずる必要などあろう筈もない。
もちろん、僕のように「否!」と答えた子供も同様だ。
全ては僕ら「子」の責任だ。
苦難や苦労はどんな道に進んでいこうが必ず現れる。
それをも親が自分たちの責と感じ、詫びたりするのは断じておかしい。
言葉を換えるなら、それは過干渉・過保護・越権とさえ言えるのではないか。
愛深きゆえにまた、ご自分たちを責めに責めて生きておられる。
だけど、仮に貴方がたが「誤りだった」と今にして感じるのであっても、
「それの何がいけないんだ?」と僕は思う。
人生は、過去で全てが終了するワケではない。
今をどう生きるかによって、未来が創造されていくものだ。
況してや間違いや誤りなどは、生きとし生けるもの全てが、
まさに現在進行形で毎日起こすものではないか。
親だから「一切間違ってはならぬ」なんて事はあり得ない。
間違わぬものなど一人として存在しない。
間違いこそが人を堅牢に、逞しく育て上げるのだ。
成功や正解などというものは、それら間違いや失敗を乗り越えてこそ
実り豊かな、喜び豊かなものとして完成するのだ。
そこで不貞腐れてしまうような未熟で脆弱な人間が、貴方がたお二人の子の中にいるか?
もしいるとするなら、そんな甘ったれはきつく叱責して然るべしだ。
「楽しんでナンボ、全部己の人生よ」とだけ母には告げた。
責任感の塊のような人。
いつまでも、全てを引っ被るような暮らし方はしないで欲しい。
貴方の子は、何よりも逞しく生きています。
もちろん忙しいのも理由の一つだけど、
街中が浮かれポンチ(昭和)で混雑してて危なっかしいし、
何より年老いた両親に余計な気を使わせたくないから。
なので毎年電話だけするようにしている。
何の脈絡があってそんな会話になったのか分からないけれど、
「私らは子供たちへの教育を誤った、申し訳ない」と、やにわに母が言った。
どうやら、学歴や職の選択ばかりを強制してしまったと言いたいようだった。
その結果、学歴が処世の役に立たなかったと実感しているのだろうか。
ちょっと前に日記に書いた内容と被ったので、ちょっと複雑な感じがした。
しかし藪から棒に何故そんな話を?
兄が帰省していたから、母にそんな事を恨み節のように漏らしたのだろうか?
いやいや、いくら何でもそんな事を四十路を超えた男がすまい。
などと色々な思考が去来した。
だけど、僕らの人生の舵取りは僕らに責任があるのであって、
母も父も僕らを健康に、五体満足に生み、命がけで育ててくれた。
そこには一切の淀みなく感謝しかない。
各々に様々な思いがあろうとも、そこには感謝しかあってはならない。
学歴を例え親が強いたと言えど、それに「応!」と言ったのは当の子供たちであり、
それに親が責を感ずる必要などあろう筈もない。
もちろん、僕のように「否!」と答えた子供も同様だ。
全ては僕ら「子」の責任だ。
苦難や苦労はどんな道に進んでいこうが必ず現れる。
それをも親が自分たちの責と感じ、詫びたりするのは断じておかしい。
言葉を換えるなら、それは過干渉・過保護・越権とさえ言えるのではないか。
愛深きゆえにまた、ご自分たちを責めに責めて生きておられる。
だけど、仮に貴方がたが「誤りだった」と今にして感じるのであっても、
「それの何がいけないんだ?」と僕は思う。
人生は、過去で全てが終了するワケではない。
今をどう生きるかによって、未来が創造されていくものだ。
況してや間違いや誤りなどは、生きとし生けるもの全てが、
まさに現在進行形で毎日起こすものではないか。
親だから「一切間違ってはならぬ」なんて事はあり得ない。
間違わぬものなど一人として存在しない。
間違いこそが人を堅牢に、逞しく育て上げるのだ。
成功や正解などというものは、それら間違いや失敗を乗り越えてこそ
実り豊かな、喜び豊かなものとして完成するのだ。
そこで不貞腐れてしまうような未熟で脆弱な人間が、貴方がたお二人の子の中にいるか?
もしいるとするなら、そんな甘ったれはきつく叱責して然るべしだ。
「楽しんでナンボ、全部己の人生よ」とだけ母には告げた。
責任感の塊のような人。
いつまでも、全てを引っ被るような暮らし方はしないで欲しい。
貴方の子は、何よりも逞しく生きています。