同じ意味に聞こえそうな二つの言葉。
後悔のない人生と
悔いのない人生。
僕はガキンチョの頃から、「後悔のない人生を歩みたい」と思ってました。
30数年、果たして後悔だらけの人生を歩き、今もまだその途上にあります。
後悔ってなんだろう。
しちゃいけないものなんだろうか。
幼い頃に立てた誓いは、見事なまでに破られながら
色んな場面で後悔ばかりを繰り返している。
でも、その数え切れない後悔たちがなかったとしたら?
想像もつかない。
確かに辛く、苦しく、みじめで、情けなくて、
いっそ消えてしまえたらどれほど楽だろうかと思うような、そんな後悔たち。
対峙している時は本当にこの世は地獄だとしか思えない、後悔たち。
でもそれを乗り越え、今がある。
その今を客観的に見た時、後悔の中を潜り抜けてきた経験がなければ
恐らく今も僕は「後悔のない人生を送るんだ!」と6歳児みたいな事を言ってたでしょう。
生まれたての赤ん坊のような肌で、人生を終える人はいないでしょう。
傷を負い、皮が何度も破れ、多くの血を流し、何度も流した涙が渇く頃に
人は本当の意味で強くなるのだと思う。
その時、絹のようだった赤子の肌は、易々と傷すら付かない分厚いなめし革のようになり、
これまで流した血は、もう流れない。
きっと後悔ってものは、その分厚い皮膚を作り上げる為の傷と同じだと思う。
後悔のない人生なんてない。
あったとしたら、その人はとても「ツイてない人生」を歩まされていたに過ぎない。
僕ならば、幼い頃の自分にそう教えてあげたい。
では「悔いのない人生」はどうか。
これだって正確に言えば「悔いが残らない筈がない」訳で。
しかし要所要所で現れる人生の選択肢・分岐点。
そこで自分の目で判断し、自分の意思で突き進んだのだとしたら、
悔いを残してはならない。
残らない、じゃなくて残さないように。能動的に。
今現在の修行に次ぐ修行の日々は、悔いが残ろうはずもないと
歩みながら確信出来る、非常に稀有な経験だ。
これから先の人生、あと何回こんな経験が出来るだろう?
それくらい、ドラコンに出会えて良かったと思わない日はない。