一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

悪銭身に付かず

2019-12-17 01:55:46 | 引き寄せの法則
以前にも日記に書いた事ですが、人には「器」があります。
「器量」と呼んでも良いかも知れない。

今日、あるニュースを見て「やはり」と再認識しました。

どのような人間であっても故人を貶めるような事はしたくないので、
「例えば」の話としてお話しを進めます。

今、ある人が1億円のお金を手に入れたとしましょう。
宝くじが当たった(?)のでも何でもいいです。
(個人的に“宝くじ”なんてモノは当たらないと思ってます)

ある日突然そういった大金を手にした人が、
まるで垂直落下するかのように散財して短期間の内に路頭に迷う、
というのはよく聞く話です。

以前の日記に「それは大金を扱う器ではないからだ」と僕は述べました。

今日はそこにさらに付け加えて断言します。

例えば1億円のお金を手にして、「器」ではない人が起こす行動はこうです。

・今まで買えなかった贅沢品を買う。
・食べた事もないものを貪り食う。
・家族構成や趣味に関係のない高級外車を買う。
・これまた家族構成に関係なく豪邸を建てる。
・運用の仕方も分からぬまま、証券マンの言いなりに金融商品を買う。
・価値も分からぬ土地を買う。

まぁざっとこんなもんでしょうか。

そしてそこで「器であるか、否か」が試されるある現象が起きます。

購入したものが更なる成功や幸福、富を生み続けるか。
或いはその逆に、持て余して手元から離れていくか。

その二つに一つの不思議な現象が顕著に現れるのです。

多くの一般人は後者。
全てが手元から離れていき、遠からず素寒貧になります。

そう、つまりそれこそが「大金を扱う器でなかった」という証左。

または、例えば100万円ほどの飲み食いに使えただけで、
あとの9900万円ほどは露と消えてしまった、なんて話もよくありますね。

要は、その人に相応なお金、
つまりその人の器量の価値は「100万円」程度だった、という事です。
数千万のお金を「生かして回す」器量ではないという事。

大金を求めたがる人間の気持ちは分かります。
今が貧しければその「思いだけは」より強いものとなるでしょう。

だけど、大切なのはその「今」にこそある。

今、しっかりと器を育て、磨き上げねば
まず大金を手にする機会に出会えないでしょう。

そして幸か不幸か大金をいきなり手にしてしまったなら、
バブル期の日本や今まさにその渦中にある中国のように、
高級外車に酒をぶっかけて汚して喜ぶような無為な使い方をして終わるでしょう。

「お金には意思がある」と多くの資産家たちは言い残したりしていますが、
もしそうだと仮定するなら、そんな無為な使い方をする人間の懐に、
果たしてお金たちは喜んで集まるでしょうか?
当然、そんな筈ありませんよね。

僕個人が思うのは、お金に意思があろうがなかろうが、
あるいはお金に限った話ではなく、この世の全てのものが永遠ではないという事。

つまり「今ある事に感謝し、思考し、正しく使う」という事こそ
大切なのだと思うのです。

日本人は、不幸にして「作られた好景気」を30年前に経験してしまいました。
その時の人間の姿が、人間として正しかったでしょうか?

我が世の春とばかりに驕り高ぶり、夜な夜な乱痴気騒ぎに明け暮れ、
金銭とブランド品でだけ互いに値踏みし合い、味も分からぬ酒に酔い痴れ、
ついには使い方も分からぬままにその全てを失った多くの人たち。


そこを顧みる事が出来なければ、もう未来永劫人間に進歩はないでしょう。



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