一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

量子論的な何か

2019-10-08 10:56:32 | 引き寄せの法則
さて
久々にヒマそうな相棒を横目に僕の方は相変わらず、
マイペースという名のダッシュで作業を進めているので、
朝からもう既に目が霞んでます(泣)

ちょっとペースを落として、せっかく相棒が時間を持て余してるので
夜とは違った感じの会話をしてみた。


昨日、珍しい事に嫁さんからちょっと哲学的?量子力学的?な話をされた事がテーマ。

曰く彼女は僕と出会うまで、自分というものの存在がアヤフヤで
日々、風向きに逆らわずに当たり障りなく生きてきたと。

彼女は、幼い頃から情緒というものとは無縁の環境で育ってしまった、という。
要は、家族間で全く無干渉で無関心だったと。

…まぁあまり触れたくはないけど、あの両親と姉妹だし成程とは思うけど。

それが損か得かなんて僕は何とも言えないし言うつもりはないけれど、
彼女としては、『表現し難い虚無感』を覚えていたという。

ウチは逆に毎日がバイオレンスだったし、兄弟や母親の過干渉も甚だしかった。
それが情緒的かと問われたら、決してそんな事はないと即答出来てしまうし、
正直、あの頃に戻れと言われたら今の僕なら家出するだろう(笑)

でも、彼女はそれでもどこか「羨ましい」みたいに言う。

とんでもなくストレスだったけどねぇ僕は…。
小学生低学年で既にストレス性の慢性胃炎だったし。

だからって訳ではないけれど、僕にはとびっきりの自我があった。
自分の理想ってものを、一つだけ青地図として持っていた。

それこそがつまり、自分が心に描く理想の嫁さんと出会い添い遂げる事。
自分たちの家庭を、自分たちの価値観で温める事だった。

嫁さんは、昔の自分が日々変わっていくのを感じていると言う。
それは、「アンタが真正面から向き合ってくれるから」だと。
自分は確かにここに存在していて、私は私なんだ、と思えるのだと。

それって、ズバリ量子論の骨子だなと。

シュレディンガーの猫、ではないけれど
「そこに確かに存在する」と証明出来るものは、自分の意識以外には
第三者の認識によってしか成り立たない訳だし。

向き合い、触れ合う事で、人は互いの存在を明確化させる。
なればこそ、人との繋がりには意味があるのだと思える。

響き合う素粒子同士が共鳴し合う事。
少し無機質な言い方をすれば、そういう感じなのだろうか。

相棒とはちょっと違うけど、でもやはり似たような事が言える。

嫁さんには愛情と尊重、相棒には互いへの尊敬と信頼。
そんなものたちが、何等かの接着剤みたいに働いてる気がする。




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