一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

その瞬間まで

2018-07-12 02:12:23 | 日記
先日あんな状態になった事を受けて、これまでの死生観が少しだけ変容しました。

世間では、数えきれないほど「死とは」どんなものかについて語り継がれています。


死に瀕したとき、あるいは死の最中、または死後。

人はどこへ行き、どのような感覚を以てその未知なる局面を迎えるのか。

どのような苦しみがあるのか、あるいは無痛なのか。

その時の感情はどのようであるのか、悲しいのか、嬉しいのか。

人としての五感はその一切を失うのか、あるいは何も変わらないのか。

そのいずれもが、誰にも分かり得ません。
何故ならそれを当人が知り得る時とは、何者にも教え伝えてあげる事のできない、自身の死に際した時だからです。


ただ、先日。

意識を失っていく最中、僕が朧げに感じていたのは、「なんて呆気ないものか」という事でした。

まるで麻酔で眠るかのように無感動で、まるで普段通り眠りにつくかのように当たり前然としていて。

そこには悲しみも、寂しさも、焦りも、驚きも、何もなかった。

去来する思い出も、やり残した事への後悔も、最愛の人への想いさえも。


そういったもの達は、意識を取り戻した後の「自分という肉を持つ人間」が、人間として抱いた感想に過ぎなかった。

生きていてよかった、嫁さんの所へ戻ってこれてよかった、何もかも忘れてしまいそうで怖かった、などなど。

透明でありながら虹色を含んだ、光ともモヤともつかぬ、あやふやな何かに全てが溶けていきそうだった。


きっとこれまでの僕はどこかで、死というものをどこか有機的なものだと考えていたのでしょう。

もちろん、今でも魂というものはあると思ってはいますが、それらに対する感じ方というものが、大きく形を変えた。


その上で、今回瀕したその局面を忘れずにいようと思いました。

いつか、本当にもう戻る事のないその瞬間が来るときまで、全てが忘れられてしまうその瞬間まで、

大切な人の事をたくさん想おう、愛しい人の事を余さず愛そう、目に映るものや手に触れるものをしっかりと感じ取ろう。

そうしっかりと心に決めました。

その瞬間がきたとき、全てが無に帰るのだとしても。

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