一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

「限界」について

2012-11-27 23:28:34 | つぶやき

最近こんな出来事がありました。

それほど懇意にしている訳ではない知人から連絡があり
どうやら仕事場で上手くいっておらず、悩んでいると。


悩み自体にはそれほど崇高な理由らしきものはなく、
勢いよく愚痴を吐いてスッキリしたようです(笑)


しかし、彼のあまり良くない性質がその悩みそのものを生み出している事に
彼は気付いていないらしい。


万事ネガティブ。


とは言え人それぞれ個性がありますし
皆がみんなポジティブだと合わせるのが大変そう(笑)
それはそれで良い。


問題は、そのネガティブさを
彼は周囲に押し付ける傾向が強い。


知り合って15年になるので彼のそういった面には
随分閉口させられたもので、ウチの嫁さんなどは
「もう彼との付き合いは考えた方がいいんじゃないか?」と呆れるほど。


家族と友達は大事にしたい、という理念を持っている僕でも
流石に今回の事案には眉を顰めざるを得なかった。


事の発端は筋トレの話になった折。


ネガティブなのに負けず嫌いで、真贋定かならぬ薀蓄を持つ彼は、
僕のトレーニング内容にこう自己理論を展開してきました。


「明らかにオーバーワークだ」

「腹筋800回はやり過ぎ」

「リストカール500回は無謀」

「人間は、生まれながらに骨格・フレームに限界がある」

「故にそのフレームに付く筋肉量も決まっているから、限界がある」

「ぼちぼちにしなされ」


と。



あまり好き・嫌いの話はしたくありませんが
僕がハッキリと嫌うものが一つあります。


それは易々と「限界だ」と決め打つ事。
しかも人のライフワークに介入して。


今回の彼の言葉は、これまでの数々の不遜を差し引いて考えても
「友人」のそれでは無いと感じた。
非常に残念です。


骨格・フレームが生まれながらに決まっているのであっても
その限られたフレームに、一体どれだけの人間が限界ギリギリの筋肉を纏っているか?
恐らく、限界値の半分も筋肉を鍛えずに生涯を終える人の方が多いでしょう。
特に今の世の中。


況してや、僕が目指す場所にいる人々は
限界の一つや二つはとうに超越し、バチバチ戦っている訳で。


そんなフィールドに臨むにあたり、「ぼちぼち」で戦えるか、と。
そんな半端な覚悟でノコノコ大会に出向いたら、他の選手にも失礼極まりない話だ。


極端な話をしましょうか。

「人間はいずれ死ぬ→だから何もしない」のか?

こんな間の抜けた話があるのか、と。

彼の言ってる理論は、僕にしてみればその極論と何も違わない。





殊に最近ではよく耳にする言葉。

「も~限界だ~」って。


人間の力を侮ってはいけない。
人間の力を見縊ってはいけない。


僕なんかは限界の玄関(うまいこと言った)にも差し掛かっていない。



せめて友人には、早々に弱音を吐いたり、他の友人を侮ったりして欲しくなかったし、
事実、僕の友人にはそんなにオイソレと根を上げる軟弱な男はいない。

残念ながら彼以外には…



限界があるなら超えれば良い。
限界に達しただけで終えてしまう目標は夢でもなんでもない。
限界値は自分で設定するものではない、限界だと思い込んだ時はただ「負けた」だけなのだ。
数ある修羅場で戦い、乗り越えている人間がいる。
その人たちに恨めしそうな眼差しを向けて、カッコ悪いセリフは吐きたくない。


切磋琢磨出来る人たちと
こんな時代だからこそ、磨き合い、競い合い、高め合って
生きていきたい。









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