為替相場を始めとする各種投資に身を投じて早数年。
ド素人だった頃の我が身を振り返り、
かつ今SNSなどで飛び交うそれ関連の情報を眺めながら、
胸に去来するものが一つ。
それは「ドラえもんは神」「藤子不二雄は神」という事。
いや冗談ではなく。
特に「フエール銀行」の回はまさに神作。
そこには、人間の脆弱性と投資における心得が凝縮されているからだ。
プラモ(ラジコンだったかな?)が欲しい主人公・のび太。
財布の中身はそれに遠く届かない乏しさ。
しかしどうしてもプラモが欲しい。
そこでいつもの通りドラえもんに相談する。
「金が欲しい」と。
そこでドラえもんが取り出したのは「フエール銀行」という、
デスクトップPCサイズの小さな箱。
そこには「借入」「預金」(だったっけ?)の二つの窓口が設けられている。
少額でも構わないから、まず預金しろとのび太に言う。
フエール銀行の優れた特徴として、僅かなお金(小銭)であっても
1週間預ければ莫大な利息が付き、何万倍ものお金を手に入れる事が出来るというのだ。
(その辺、詳細はうろ覚えですいません)
そこでドラえもんは、のび太に「利息が十分に貯まるまで1週間待て」と告げた。
幼心に、「自分だったら1万円を10年預けるぜ」と心を躍らせたものだが、
そこはオチを要する漫画。鬼才・藤子不二雄先生がそれを疎かにするワケもない。
愚かにも主人公のび太は1週間も待てなかった。
お目当てのプラモが完売してしまう事を恐れたのだ。
そして、決して使うなと言われた「借入」の窓口を使ってしまう。
果たして、のび太は目当てのプラモを手に入れた。
が、後にそれを知ったドラえもんは顔面蒼白になり、
「取り立ての恐ろしさ」について語りだすのだった。
取り立ての内容は、返済期間を過ぎる毎に身の回りのモノが消えて行く、
という何とも恐ろしいもの。
身の回りのモノとは、家財道具だけに留まらず身に付けている衣服までに至る。
幸運にして親戚から臨時の小遣いを得たのび太は、
急いでフエール銀行の窓口へと向かうが・・・
という内容だった気がする(笑)
投資において最も重要なことが、作中には詰まっている。
作者は一切「投資」という言葉を使わずにそれを子供たちに教えてくれている。
1.「その時を待つ」という点。
作中においては「利息が貯まるのを待つ」と描写してあったが、
相場においてもチャンスを「待つ」という事こそが最も重要だ。
慎重さを持ち寄り、分析し、淡々と待つ。
それが出来ない人間が無謀な取引をし、消えていく。
2.欲に目が眩めば破滅する。
人間には必ず欲があり、それは行動の根幹とも言えるものだ。
しかし、大願と欲望は別物であり、そこを見失った者は悉く滅びる。
主人公は「プラモが売り切れてしまうかも知れない」と恐れたが、
売り切れたら売り切れた時の事であってそれが万事ではないと知るべし。
また、自分の求めるものは誰にも奪われぬし、いつか必ずまた目の前に現れるものなのだ。
それを踏まえねば、一日たりとて人は欲望をコントロールなど出来ない。
3.対価は必ず支払わねばならない。
結末でのび太は、果たして文字通り身ぐるみを剥がれた。
しかも公衆の面前、あろう事かヒロインの目の前で(笑)
物事には「起こり」があり「結果」があるように、
リスクを冒せばそこには支払うべき対価が生じる。
これは何もお金の事だけではないが、メタファーとしてこれ以上ない描写だった。
色んな人の書き込みを見たり、多くの質問を頂く中で、
どうもそこを理解出来ていないまま投資に向かう人が多いと感じる。
「ついついエントリーした」
「なんとなくポジションを追加した」
「マーチンしてみた」
などなど、希望的観測でしかないギャンブルを驚くほどの数の人間が行っている。
それが「正当なるリスク」であれば投資は成立するが、
「無謀ゆえの危険」であったなら、もう対価を支払うしか術は残されていないのだ。
やっぱりドラえもんは神。
藤子不二雄先生は神だった。
ド素人だった頃の我が身を振り返り、
かつ今SNSなどで飛び交うそれ関連の情報を眺めながら、
胸に去来するものが一つ。
それは「ドラえもんは神」「藤子不二雄は神」という事。
いや冗談ではなく。
特に「フエール銀行」の回はまさに神作。
そこには、人間の脆弱性と投資における心得が凝縮されているからだ。
プラモ(ラジコンだったかな?)が欲しい主人公・のび太。
財布の中身はそれに遠く届かない乏しさ。
しかしどうしてもプラモが欲しい。
そこでいつもの通りドラえもんに相談する。
「金が欲しい」と。
そこでドラえもんが取り出したのは「フエール銀行」という、
デスクトップPCサイズの小さな箱。
そこには「借入」「預金」(だったっけ?)の二つの窓口が設けられている。
少額でも構わないから、まず預金しろとのび太に言う。
フエール銀行の優れた特徴として、僅かなお金(小銭)であっても
1週間預ければ莫大な利息が付き、何万倍ものお金を手に入れる事が出来るというのだ。
(その辺、詳細はうろ覚えですいません)
そこでドラえもんは、のび太に「利息が十分に貯まるまで1週間待て」と告げた。
幼心に、「自分だったら1万円を10年預けるぜ」と心を躍らせたものだが、
そこはオチを要する漫画。鬼才・藤子不二雄先生がそれを疎かにするワケもない。
愚かにも主人公のび太は1週間も待てなかった。
お目当てのプラモが完売してしまう事を恐れたのだ。
そして、決して使うなと言われた「借入」の窓口を使ってしまう。
果たして、のび太は目当てのプラモを手に入れた。
が、後にそれを知ったドラえもんは顔面蒼白になり、
「取り立ての恐ろしさ」について語りだすのだった。
取り立ての内容は、返済期間を過ぎる毎に身の回りのモノが消えて行く、
という何とも恐ろしいもの。
身の回りのモノとは、家財道具だけに留まらず身に付けている衣服までに至る。
幸運にして親戚から臨時の小遣いを得たのび太は、
急いでフエール銀行の窓口へと向かうが・・・
という内容だった気がする(笑)
投資において最も重要なことが、作中には詰まっている。
作者は一切「投資」という言葉を使わずにそれを子供たちに教えてくれている。
1.「その時を待つ」という点。
作中においては「利息が貯まるのを待つ」と描写してあったが、
相場においてもチャンスを「待つ」という事こそが最も重要だ。
慎重さを持ち寄り、分析し、淡々と待つ。
それが出来ない人間が無謀な取引をし、消えていく。
2.欲に目が眩めば破滅する。
人間には必ず欲があり、それは行動の根幹とも言えるものだ。
しかし、大願と欲望は別物であり、そこを見失った者は悉く滅びる。
主人公は「プラモが売り切れてしまうかも知れない」と恐れたが、
売り切れたら売り切れた時の事であってそれが万事ではないと知るべし。
また、自分の求めるものは誰にも奪われぬし、いつか必ずまた目の前に現れるものなのだ。
それを踏まえねば、一日たりとて人は欲望をコントロールなど出来ない。
3.対価は必ず支払わねばならない。
結末でのび太は、果たして文字通り身ぐるみを剥がれた。
しかも公衆の面前、あろう事かヒロインの目の前で(笑)
物事には「起こり」があり「結果」があるように、
リスクを冒せばそこには支払うべき対価が生じる。
これは何もお金の事だけではないが、メタファーとしてこれ以上ない描写だった。
色んな人の書き込みを見たり、多くの質問を頂く中で、
どうもそこを理解出来ていないまま投資に向かう人が多いと感じる。
「ついついエントリーした」
「なんとなくポジションを追加した」
「マーチンしてみた」
などなど、希望的観測でしかないギャンブルを驚くほどの数の人間が行っている。
それが「正当なるリスク」であれば投資は成立するが、
「無謀ゆえの危険」であったなら、もう対価を支払うしか術は残されていないのだ。
やっぱりドラえもんは神。
藤子不二雄先生は神だった。