友人のブログを拝見してて心がキュッと痛んだ。
彼の息子さんが一生懸命作った雪だるまを
心無い子供たちがその息子さんの目の前で壊した、という。
僕の幼少期を思い出しても、そういう事ってよくあった事で、
当時も「なんでこんなヒドイ事を平気で出来るんだろう?」と
幼心を痛めてた思い出がある。
小さな頃から人間模様ってものは顕著に社会に投影されていて、
哲学に似た考えになっちゃうけど、人間ってのは幾つかのタイプに
分類されてしまうのかな、なんて。
壊す者と生み出す者
奪う者と守る者
傷付ける者と慈しむ者
色んな場面で、幾つかの立場に分かれて社会ってのは構成されている。
あまり好ましくないタイプが多いのもまた、現実で。
僕個人は彼の息子さんがとても気の毒で仕方ない。
自分の幼い頃と照らし合わせても、同じような感情を抱いた事があったから
尚更に胸が締め付けられる思いだ。
でもその上で、息子さんは「ものの憐れ」が幼いながらに分かってる、
非常に情緒的な人間なのだと感じ、友人に似た優しい人間になるであろうと
勝手に思いを馳せている。
「スクラップ&ビルド」なんて言葉があるけれど、
何も生まない破壊行為は、ただの蛮行であって犬も食わない。
つまりは畜生の行い以下だと思っている。
だからアメ○カの映画はずっと嫌いです。
不必要に街や人を薙ぎ倒す派手なカーアクション、
パリンパリン割れる窓ガラス、吹き出す貯水タンク、
やかましい銃器のドンパチ、爆薬、ミサイル、轟く爆音に響き渡る悲鳴。
で、なんですか?最後は白人の主人公が
金髪のねーちゃんとチュッチュしながらエンディング、と。
くだらねぇ…。
破壊至上主義もここまでいくと病気だぜ。
日本人らしさ、大事にしたいですね。
八百万の神様って考え方が日本にはあるように、
生き物に限らず物にだって魂が宿る。
それを大切に出来る考え方は、ほとんどの日本人は忘れかけてる。
「壊す」という事は本来、最終手段であるべきで
戯れに、直情的に、即物的にその手段を執ってると
アホになるぜ(^ω^♯)