出来事や感じたことを書き留めておくのは、
時が経って読み返す時、中々面白いものです。
ふと、4年前に書いた記事を目にして、思いました。
あの頃はこんなことを考えていたんだな・・・
そして、今も答えを求めて、同じところを彷徨っています。
それは、こんな風に書き始められていました。
野犬の群れにおいて、リーダー犬はどのようにして生まれるかという
いくつかの研究報告を読んだことがあります。
それによると、リーダー候補の犬が強い力を見せつけて
トップの座を勝ち取るのではないと言います。
ある一頭の犬の行動を見ていた別の犬が
その犬に自発的について行くことがあるそうです。
ある一頭の犬の後にそんな犬が増えていくと、群れが出来ます。
つまり、慕われ尊敬される犬が自然にリーダーにされるというのです。
高度な社会性を有するオオカミは、群れの序列を決める時、
体格や力ではなく、性格や態度によって決めると考えられていることから、
同じ祖先を持つ犬においても、あり得る行動のように思えました。
犬が犬を慕い尊敬するポイントは何なのでしょうか。
いくつかは想像することが出来ます。
一緒にいると何かいいことがある・・・
食べ物を得たり、身を守るための正確な判断だけでなく、
精神的な充足感を分かち合える・・・
それとも、想像もつかないことでしょうか。
人と生きる犬は、どんな人を慕い尊敬するのでしょうか。
ピレネー犬は独立心が強く、自分の判断で動き、
その判断を高く評価してもらうことで、人との信頼関係を結んで来ました。
そうした遺伝子を多く受け継いでいる個体ほど、
強いコマンドでコントロールしようとすると、
良い結果が出ないことが多いように思います。
むしろ、こちらが尊敬されていれば、
対話の中で意図を読み、行動する機知を持つ犬です。
少なくとも、人の価値観を押しつけるリーダー風を吹かしていては、
本当の意味での信頼関係には到底、たどり着けないでしょう。
野犬の群れの中に犬の姿をしている自分がいると考えてみます。
私の後をついて来てくれる犬はいるでしょうか・・・
ついて来る犬など全くいなかったら・・・(悲)
ふと、フランダースの犬を思い出しました。
原作は19世紀に英国人作家が書いた悲劇の短編ですが、
正直に言うと、好きではありません。
日本のアニメでは、ネロの年齢など設定をいくつか変え、
オリジナルの話をたくさん盛り込み、
随所で誠実さや優しさに溢れる暮らしぶりが描かれています。
私としては展開に納得できないところもありますが、
それでも、最後のシーンが何度見ても泣けるのは、
物語が結末へと向かうほどに重なる不幸を憂えるからではなく、
ただ、ネロを探し歩くパトラッシュの描写に心を打たれるからです。
吹雪の中、倒れては起き上がり、ネロの姿を追うパトラッシュ。
大聖堂に辿り着き、ルーベンスの絵の前で横たわるネロを見つけると、そばに寄り添います。
「いつまでも僕と一緒だって言ってくれてるんだね・・・」ネロが言います。
Nearer My god, to Thee(主よ、みもとに近づかん)が流れる昇天のシーンは、
曲の美しさが映像の悲しさを幸福感にかえていくようです。
さて、野犬の群れに戻るとしましょう。
その中には、Zionもいます。
Zionは犬の姿をした私を探し出し、
後をついて来てくれるでしょうか。
思い込みや願望を捨て去ると、吹雪の中に取り残されそう・・・
分かっていないことだらけの道が続いています。
今日も会いに来てくれて、ありがとう!
時が経って読み返す時、中々面白いものです。
ふと、4年前に書いた記事を目にして、思いました。
あの頃はこんなことを考えていたんだな・・・
そして、今も答えを求めて、同じところを彷徨っています。
それは、こんな風に書き始められていました。
野犬の群れにおいて、リーダー犬はどのようにして生まれるかという
いくつかの研究報告を読んだことがあります。
それによると、リーダー候補の犬が強い力を見せつけて
トップの座を勝ち取るのではないと言います。
ある一頭の犬の行動を見ていた別の犬が
その犬に自発的について行くことがあるそうです。
ある一頭の犬の後にそんな犬が増えていくと、群れが出来ます。
つまり、慕われ尊敬される犬が自然にリーダーにされるというのです。
高度な社会性を有するオオカミは、群れの序列を決める時、
体格や力ではなく、性格や態度によって決めると考えられていることから、
同じ祖先を持つ犬においても、あり得る行動のように思えました。
犬が犬を慕い尊敬するポイントは何なのでしょうか。
いくつかは想像することが出来ます。
一緒にいると何かいいことがある・・・
食べ物を得たり、身を守るための正確な判断だけでなく、
精神的な充足感を分かち合える・・・
それとも、想像もつかないことでしょうか。
人と生きる犬は、どんな人を慕い尊敬するのでしょうか。
ピレネー犬は独立心が強く、自分の判断で動き、
その判断を高く評価してもらうことで、人との信頼関係を結んで来ました。
そうした遺伝子を多く受け継いでいる個体ほど、
強いコマンドでコントロールしようとすると、
良い結果が出ないことが多いように思います。
むしろ、こちらが尊敬されていれば、
対話の中で意図を読み、行動する機知を持つ犬です。
少なくとも、人の価値観を押しつけるリーダー風を吹かしていては、
本当の意味での信頼関係には到底、たどり着けないでしょう。
野犬の群れの中に犬の姿をしている自分がいると考えてみます。
私の後をついて来てくれる犬はいるでしょうか・・・
ついて来る犬など全くいなかったら・・・(悲)
ふと、フランダースの犬を思い出しました。
原作は19世紀に英国人作家が書いた悲劇の短編ですが、
正直に言うと、好きではありません。
日本のアニメでは、ネロの年齢など設定をいくつか変え、
オリジナルの話をたくさん盛り込み、
随所で誠実さや優しさに溢れる暮らしぶりが描かれています。
私としては展開に納得できないところもありますが、
それでも、最後のシーンが何度見ても泣けるのは、
物語が結末へと向かうほどに重なる不幸を憂えるからではなく、
ただ、ネロを探し歩くパトラッシュの描写に心を打たれるからです。
吹雪の中、倒れては起き上がり、ネロの姿を追うパトラッシュ。
大聖堂に辿り着き、ルーベンスの絵の前で横たわるネロを見つけると、そばに寄り添います。
「いつまでも僕と一緒だって言ってくれてるんだね・・・」ネロが言います。
Nearer My god, to Thee(主よ、みもとに近づかん)が流れる昇天のシーンは、
曲の美しさが映像の悲しさを幸福感にかえていくようです。
さて、野犬の群れに戻るとしましょう。
その中には、Zionもいます。
Zionは犬の姿をした私を探し出し、
後をついて来てくれるでしょうか。
思い込みや願望を捨て去ると、吹雪の中に取り残されそう・・・
分かっていないことだらけの道が続いています。
今日も会いに来てくれて、ありがとう!