豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

捕らぬ狸の皮算用

2015-03-11 07:09:36 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。



おはようございます。

今朝の寒さは尋常じゃないですね。

朝から震えながら洗面と座禅をしました。

千鶴さんがはんてんを取って言うので「自分で取れば」と言ってしまった。

なんと朝になると機嫌の悪くなることよ。

これは、もう習慣ですね。

座禅を終えて、煙草&コーヒーを楽しみながらの読書1章。



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玄関脇でいつもは座っているのだが、余りにも寒いので、壁に寄り添って立ちながら読んでいた。

戻ってくると千鶴さんが悠聖に朝ごはんをあげている。

が、メッチャ怒っている!

まあ、そりゃそうだ。

だいたい僕は口で失敗するタイプだが、正しい言葉遣いをできない。

意識しなければいけないね・・・・・・orz

僕はロールパンを3個食べながら、悠聖にほんの少しだけあげる。

「3個も食べるの?」と言われました。

こういうパターンもよくありますよねー。

なんかこう、言い易いらしいです僕は・・・・・・(はあ)


で、まあ、こう色々ある中でですね。

計算の世界に迷い込みそうになっておったことに再度気がつきました!

捕らぬ狸の皮算用。

こう様々な出来事に対してですね、あーでもない、こーでもないとやる。

昨日も性の、つまり男女のタイプだとか、様々な心理学情報などを読んでいて、思ったのですが、ああやって一般的に解説してしまうと、まったく味がない。

なんというか一個のひとりの人間として、ここで、様々な出会いやら別れ、そうして、その中での心の動きがあるわけです。

切り取られた瞬間の中に、それはある。

しかし、それを見た思考が、あとになって、あれはこうだった、これはこうだった、だから、ああやればOk、これはNGとかしている。

私は○○を見た、それは、こういう状態で、こういう仕組みだった、しかし、それを再現することができないという。

それは、自己が、狙っているからだ。


まあ、以前の計画生活とも同じで、このような損得計算の中で、なにかをしても楽しいはずもないんですよね。

もう、過ぎたことは過ぎたこと。

今、目の前には、なにがあるのか?

現実の苦しみやら、楽しみやら、留まることのない流れとしての人生があるわけです。

ここに頭の中の理念や解説を持ち込んで、そこから見ていては、生の現実に触れることが出来ないだろうし、自分が落ちることなんか絶対ないでしょう。

落ちなければならない自分自身が、頭から自分を評価しているのだ。

こういった活動が、妄想が妄想を生み、イメージの世界で、神ですら創造してしまうのである。


瞑想のページなんかを読んだりしていると、もう、それは完全に目の前の現実を忘れ去って、考えの世界に行ってしまっている。

チャクラがどうのだとか、マントラがどうのと、騒ぐ。

確かに、そういったものはあるのだが、それは現実に、ここで、機能しているものであって、そこに当たるのには、理論を持ち込んではいけないのである。

丹田に呼吸を降ろすのは、普段の日常での姿勢を整えるという単純なことから始まるのであり、そうして、ハートの覚醒や、性の調和にしても、すべて単純な日常の事実の中で、現在、起こっていることが変えられなくてはならない。

そこに結果を解説した理論なんかがあると「妄想」でアレコレやってしまうのだ。

イメージだけが先行して、皮算用が始まるのである。


性の調和は感情の調和である。

そうして感情の調和は呼吸の、血液の流れである。

これは食べるもの、受け取る印象によって変わるのである。

呼吸だけを調整したり、印象だけを調整しても意味がない。

自覚のなかで、落ち着いてリラックスしながら、注意深く繊細にものごとを捉える働きをして、その受け取っている印象を感情の中で、慈しむということなのだ。

つまり『愛』が性の調和をもたらすのであり、『愛』の欠如が本能と性の誤動作による怒りや、また抑うつ傾向を生み出すのだ。

この愛は、高次感情センターの目覚めなのだ。

そして、この高次感情センターの目覚めは、緩衝器の破壊によってもたらされる。

それは本質の目覚めのことなのだ。

この本質は未熟であるがゆえに、自覚が必要なのだ。

そうして、この自覚と本質の目覚めている状態、意図的苦悩が、高次感情センターの目覚めと同時に性の健全なる調和を体内で実現する。

それが、血液の循環の中で、男性的な陽のエネルギーを体中にめぐらせ、これが、霊性の感得に繋がるのである。