・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
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こんにちは。
飲みすぎてダウンしている豊田です。
今日は11時半ごろに目覚めて、そこから、ずっとダウン。
親戚の叔父さん達が家族で遊びに来てくれましたが、少し挨拶して、あとは、お風呂に入ったりしていました。
母親の家でお寿司とピザをもらって食べる。
味噌汁とお茶もげっとですね。
更にコンビニへ行ってアイスクリームとジュース、煙草3箱を購入する。
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うーん、甘いもの、耐久選手権もここまで。
まあ、お酒はいかんですねえ、ほんとに、疲れるから次の日が潰れてしまう。
姪っ子たちとアイスを食べて、家で、PCを見ていると遊びに来る。
『アナと雪の女王』が好きらしく、点けてあげたら見ている。
アンパンマンのドラムをめっちゃ叩きながらw
外は、雨、が降っている。
心の力は、今、ここにある眼前の風景を照らす、天からの意識光である。
○がここにあり、これが心であり天であり意識であり体であり風景であり、人生であり、そして個人的感情であり、個人的「思い」がそこに育まれているのだ。
分かれていない。
心が触れているのだ。
そして、この、心の力は、毎日の自分の繰り返す言葉によって、輝きも鈍りもする。
陽気な言葉を繰り返せば、そのような力が働きだし、その育まれた陽気な心は、輝かしい風景にたくさん気がつくようにさせる。
陰気な言葉を繰り返せば、そのような力が働く。
この気というのは、思いとは、また少し違っている。
勘付くという言葉があるが、そのように、気がついていることが、この気の働きなのだ。
それが人生を、宿命を創り出していく。
意志とは別の働きが、体と心を包んでおり、その意識体は、内部の自己、つまり思いを反映する形で、眼前の事実を展開させていくのである。
この意識体こそが、本来の自己なのであるから、例えば、何を考えてみたり、言ってみたり、やってみたりしても、全ては、見られているのだ。
生まれてから、今までの、すべてのことが記録されている。
例え本人が忘れていたとしても、それは、気という形で、その眼前の事実に反映されてくるのである。
これは「いいわるい」とは関係がない。
その心の質、つまり、陽気であるか、陰気であるかの情報が伝達されているのである。
だからこそ、平凡なことに感謝できる能力が、生きることを容易くさせる。
平凡なこととは、例えば、ジュースを飲んで「ああ、おいしい」と、このことに感謝するのであるとか、健康でいられることだとか、まあ、他にも、いろいろと当たり前にある日常に感謝するのである。
人間として生まれた奇跡!
このような、心の質に、嘘はありえないし、通用するわけがない。
何しろ、自分が神なのだ。
すべて見られているとは、そういうことなのである。
天は、自分の意識であり、その意識は、心の力の顕現なのだ。
この心の質が、背中の別次元、つまり、あなたと私が交錯している出会いとしての、全宇宙に、感情的に広まっていくのである。
この気づきの質を高めることで、感受性が高まり、今まで、接することのなかった、この力、心の力と察する力に繋がる。
普段の日常の心の雰囲気が、宿命を、人生を創りあげてきているのだ。
すっかりとこれが変わるには、膨大な努力が要る。
しかし、この努力は『私』がいる限り不可能であるのだ。
この様々な事実が、実は、最初ッから、自然の中にあったということなのである。
私が心の質を変えてやろうとするのは失敗するのだ。
心と体が、完全に、安心しきって、脱力するとき、自然である時に、そうなるのだが、その、質は、私のコントロールが、この質の側に明け渡されたとき、つまり真我の働きの中に融合された時に生まれるのである。
天と我が融合するというのは、天と我を識別している私が、何もしていない時に、あちら側から、勝手に起こってくるのである。
自分がするのではない。
人間のすることではなく、自然の側が、自動的に起してくるのである。
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こんにちは。
飲みすぎてダウンしている豊田です。
今日は11時半ごろに目覚めて、そこから、ずっとダウン。
親戚の叔父さん達が家族で遊びに来てくれましたが、少し挨拶して、あとは、お風呂に入ったりしていました。
母親の家でお寿司とピザをもらって食べる。
味噌汁とお茶もげっとですね。
更にコンビニへ行ってアイスクリームとジュース、煙草3箱を購入する。
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まあ、お酒はいかんですねえ、ほんとに、疲れるから次の日が潰れてしまう。
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『アナと雪の女王』が好きらしく、点けてあげたら見ている。
アンパンマンのドラムをめっちゃ叩きながらw
外は、雨、が降っている。
心の力は、今、ここにある眼前の風景を照らす、天からの意識光である。
○がここにあり、これが心であり天であり意識であり体であり風景であり、人生であり、そして個人的感情であり、個人的「思い」がそこに育まれているのだ。
分かれていない。
心が触れているのだ。
そして、この、心の力は、毎日の自分の繰り返す言葉によって、輝きも鈍りもする。
陽気な言葉を繰り返せば、そのような力が働きだし、その育まれた陽気な心は、輝かしい風景にたくさん気がつくようにさせる。
陰気な言葉を繰り返せば、そのような力が働く。
この気というのは、思いとは、また少し違っている。
勘付くという言葉があるが、そのように、気がついていることが、この気の働きなのだ。
それが人生を、宿命を創り出していく。
意志とは別の働きが、体と心を包んでおり、その意識体は、内部の自己、つまり思いを反映する形で、眼前の事実を展開させていくのである。
この意識体こそが、本来の自己なのであるから、例えば、何を考えてみたり、言ってみたり、やってみたりしても、全ては、見られているのだ。
生まれてから、今までの、すべてのことが記録されている。
例え本人が忘れていたとしても、それは、気という形で、その眼前の事実に反映されてくるのである。
これは「いいわるい」とは関係がない。
その心の質、つまり、陽気であるか、陰気であるかの情報が伝達されているのである。
だからこそ、平凡なことに感謝できる能力が、生きることを容易くさせる。
平凡なこととは、例えば、ジュースを飲んで「ああ、おいしい」と、このことに感謝するのであるとか、健康でいられることだとか、まあ、他にも、いろいろと当たり前にある日常に感謝するのである。
人間として生まれた奇跡!
このような、心の質に、嘘はありえないし、通用するわけがない。
何しろ、自分が神なのだ。
すべて見られているとは、そういうことなのである。
天は、自分の意識であり、その意識は、心の力の顕現なのだ。
この心の質が、背中の別次元、つまり、あなたと私が交錯している出会いとしての、全宇宙に、感情的に広まっていくのである。
この気づきの質を高めることで、感受性が高まり、今まで、接することのなかった、この力、心の力と察する力に繋がる。
普段の日常の心の雰囲気が、宿命を、人生を創りあげてきているのだ。
すっかりとこれが変わるには、膨大な努力が要る。
しかし、この努力は『私』がいる限り不可能であるのだ。
この様々な事実が、実は、最初ッから、自然の中にあったということなのである。
私が心の質を変えてやろうとするのは失敗するのだ。
心と体が、完全に、安心しきって、脱力するとき、自然である時に、そうなるのだが、その、質は、私のコントロールが、この質の側に明け渡されたとき、つまり真我の働きの中に融合された時に生まれるのである。
天と我が融合するというのは、天と我を識別している私が、何もしていない時に、あちら側から、勝手に起こってくるのである。
自分がするのではない。
人間のすることではなく、自然の側が、自動的に起してくるのである。