・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんにちは。
本日は13時ごろに起床いたしました豊田です。
起きて直ぐに洗面をしていましたが、剃刀で唇を切ってしまいました。
不注意、不注意。
妻が保冷材をタオルに包んでくれたので、当てていたら、治りました。
治ったというか、血が止まりました。
それから座布団を2枚ひいて、座禅を15分します。
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お寺に参禅した時は、普通の座布団の上に、円形の小さな座布団があって、アレに座ると背筋が伸びて、リラックスできたのだけれど、買ってみたいなあ。
妻に言ったら、即、却下されましたが(笑い)
座禅中は、彼女が『花嫁のれん』を視聴している音が流れてきます。
それに加えて僕自身の脳内妄想やら、自我が落ちようとアレコレ思案して動いている様子が伺えますが、このアレコレしている自我くんが「ふっ」と消えていないといけない。
まあ、今日も全然、自然に成りきれませんでした。
座禅を終えてからは、ブラック珈琲と煙草を味わいながら読書です。
玄関脇で畑に生えた樹なんかを眺めながら、ふーっと、のんびりと目を通す。
と、千鶴さんが来て、悠聖を膝の上に乗せる。
「ちょっと今は読書中だから、待って、あとで遊んであげるから」と言うと、不平感丸出しで家へ戻っていく。
すぐに「うわぁああああん」という悠聖の泣き声が響き渡って、耳を突いた。
こちゃあどうも、罪悪感が、こころを掠めていきます・・・・・・orz
ブログを書き始めていると悠聖が笑顔満面で横へ這ってきた。
ドキッ!
「悪戯したらアカンぞ」と言っている傍から、障子を開けたり閉じたりとしている。
ちなみに家は、超狭くて、部屋数もないので、僕の部屋、というかPCがあるのは、日本間の縁側です。
悠聖が、障子を破りそうなので「ちぃちゃん! ちぃちゃん!!」と、呼んでいるのだが、全く反応がないので、遂に、ビリッと破きおった。
あーっ、と思って「こらっ、やぶいたらアカンやんかー」と怒っている。
千鶴さんが来たので「これ直してよ! ちぃちゃん来てくれやんで破れたやんかあ」
子供みたいなことを言っている、ダメ人間、だめまでありました。
そこでブチ切れた千鶴さんが障子を外してビリビリと破りだす!
おいおい、そんなむちゃな破り方したら、綺麗に貼れないではないかと思い、あーだこーだと言っていると、ハサミを持ってきて切り出したwwwww
いや、ハサミでは無理だろうと言っているのに、チョキチョキやっている。
僕は見かねて、工場へ障子を持って行くことにしたのだが、やってみると意外にというか、全然、やり方がわかんない。
まず工具というか、道具がどこにあるかもわからない。
一応、書いておくと、父親と祖父は『建具屋』だったので、障子と言えば、僕が、ここに生きているのは、障子と襖のおかげだと言えなくもないくらいに大事なものなのだ。
しかも、温厚な父親が、唯一、僕を叩いたのが、障子を破いたときだったのですよ。
まあ、お客さんのヤツだったから当たり前だけど・・・・・・orz
まあ、そんなことはいいとして、とりあえず刷毛で水を付けて、糊面を剥いでいきます。
その間も、千鶴さんが、悠聖を連れてきたり、戻しに行ったり。
あーだこーだと言い合ったり、罵り合ったり、煙草を吸いに行ったり。
と、他事三昧の僕達。
仲がいいのか、悪いのかwwwww
予想以上に面倒なので、もう、明日でいいかとなり、家へと戻ります。
最後の方は、ヘラで剥がすのが楽しくなって、私もやる、僕もやるとお互いにやっていたのだった(爆笑)
そんなバタバタ感満点の中、ブログの更新を始めています。
いつもより早く起きたのだが、全く意味がないではないかっ!
で、なんでしたっけ?
ああ、そうそう、新しい発見があったのであります。
これにはビビリますよ。
というか、たぶん、ドン引くかな(笑い)
あのですね・・・・・・。
ここに背面の自己というものがあります。
この背面の自己の中に、他者が生存しているのですよ。
実際にね。
この目に見えている他者というのは、実は、背中の後ろ側にもいるんです。
目に見えているほうは、まあ、なんというか、実体としての力はあんまり持っていないんですよねえ。
って、まあ、これは、ちょい行き過ぎ感があるのでやめておこう。
さて、そんなこんなで感情の消化もだいたい進んできましたので、色々ある中で『深刻』にならなくなってきました。
迷い、怒り、欲というものが、人間の中で、様々にあるわけですが、それが、私の動きではなくて、まあ、物質のような働きとして見られるわけです。
例えば、ビールを味わっているのは、もちろん欲ですが、この味わっている私が、だんだんと酔っ払ってくると失われますね。
そうして今度は、物質としてのアルコールが体内で、脳内の海馬を麻痺させて、私自身の意志とは無関係に機械的感情の発露を始めますね。
刺激と反応のロボットのように、本質むき出しの『動物』になるのです。
これがエコノミックアニマルなのですwwwww
まあ、だめまは、よく、これになっているので分かります(爆笑)
理性は完全喪失されて、もはや、ビールは、なんの快楽も与えなくなっているのです。
快楽のはずのビールが、苦しみに変貌しているのです。
これが欲望の境界線で、不必要な貪りなのであります。
つまり『腹八分である』ことが、迷い、怒り、欲に対して機能するのです。
拒絶するのも、貪るのも、どちらも離れなくてはならないというのは、これは、味わいが保たれているか、つまり、意識が参加しているかどうかが、問われているのであります。
私が飲まれなければ、どんだけ、飲んでもOKということです。
健康面は知りませんがね。
自己が麻痺に陥るということが、迷い、怒り、欲が、自己を喪失させる原因となっているので、中毒してはいけないということなのです。
それだから戒律があるわけですね。
だから自己が保たれた、つまり背面の自己がしっかりと立った上で、味わうのならば、それは瑞々しさ、清々しさを必ず伴うのであります。
「清々しさ」が無くなるまでに成らないように、欲の働きを抑制するだけですね。
欲はあって当たり前なんです!
なかったら、もう、この世にいないでしょう。
まあ、生きている限り、迷い、怒り、欲はあって当たり前ですが、それが、自分を乗っ取ったら負けということですよ。
自分が乗りこなしているのであれば、無問題なのです。
それを意識している、自覚できている場合は、あってもいいんです。
『一挙手一投足』という言葉がありますが、これが普段は、見失われているのですね。
これは「動作」だけではなく「感情」や「思考」の『一挙手一投足』もあるわけですが、これらを自覚するには、背面の自己が機能していなくてはならない。
この、背面の自己とは、宇宙や他者を照らし出す感受体、感光体なのだ。
今、目の前にある自然、事実は、実は、この人間の内部にあるのである。
外ではなく内なのです!
通常の常識とは、逆ですが、それが本当です。
外には心がある。
この心と自然を分離させているのが自我の働きの作用なのである。
この外の心と内の自然が合体すること、融合すること、愛し合うことを覚醒と言っているだけの事なのだ!
本来は、最初から、この感光版やら、感情遮断体やらが、機能しているのだが、自我に張り付いた真我の反映である心が、区分、差別された、自我の活動、肉体のみが自分だと思い込んで、社会教育(洗脳)によって、実際の、全一なる自己を見失っているのである。
ここの事実としての、眼前のリアルなる風景。
この風景の側が、自分を生きているのである。
最初ッから!!!!
その自分というのは、常に独りでありながら、この独りは、森羅万象と等しいのだ。
ですから、三千大千世界は一塵埃の中にあるのです。
あなたは、普段、あなたが認識しているところのエゴとしての私ではなくて、もっと偉大なる働きをする宇宙大の機構なのである。
○が宇宙だとしてその横に同じ規模の○があり、その○と○が接している点が肉体である個人としてのあなたなのである。
この点は、思量が及ばないほどの超絶巨大でもあり、超絶微小でもあるのです。
○○
8の字を横に倒すと、真ん中の線があるが、この線が、自我の正体ですよ。
左が自然界、右が心霊界で、これは相似しています。
この分裂した○と○が、意識の中で、ひとつになることが覚醒なのです。
実際は、この線は存在していないのであるが、この線があるお陰で、不思議に無量であるあなたが、この奇跡の世界を堪能できるのである。
この線の意味を、深く、考えてみてください!!!!
これが宇宙を貫き、時間を貫いているあなたの、真我の反映だ。
この垂直の光の元(魂)は、なんと、あなた自身の胸の奥に眠っているのである。
ですから、他者は背面にもいるのですwwwww
というか、実際、背面の他者こそが、あなたと人を分けている。
あなただけの感情なのである。
これを高次感情中枢と名づけた人がいる。
そして、これと、光としての自己が、同時に作用することで、あなたは迷い、怒り、欲を物質として捉えながら、これらを利用して自己を完成させることができる。
『純粋な私』を『自我の終焉』を達成できるのである。
それは、まあ、単に、僕が玄関脇で煙草を吸いながら、ふっと消えたということと全く同じことなのです。
大げさに書いたのに、これだけなのです。
なんかこう、いろいろと凄いことの様になってしまっていますが、書いていると比較と想像が入るので、そうなるのですが、事実としてのあなたを認識したら、あなたは、
「えっ、こんだけのこと??」と言うのです(大爆笑)
今、ある事実は、これは、誰も離れることが無く、差別も無く、単にあるのです。
地球は丸いというのと一緒です。
努力や修行とは、教えや宗教とは、無関係なのです!
目で見える太陽と惑星と地球と月は、これは、実は、あなたの中に、内側にあるのです。
不可視の太陽が、世界の、次元の、外側にある。
まあ宇宙空間に光を放つ恒星のように、我々は、存在している可能性があるんですが、このあたりは研究中なので、まだハッキリとはしません。
文字通りに、宇宙の惑星体が、アストラル体かもしれませんが、まだ未確認です。
でもね、言いたいのは。
これらの想像も含めて、存在する一切のものは、最初からあるのです。
雑草でも石ころでも、生きているもの一切は、あなた自身なのですwwwww
これらの最初からある、目の前の風景の側が、どんな次元であれ、あなたなのですよ!!!!
あなたが如来、自然、そのものなのです。
例え、7次元まで行ったとしても、そんなことは、関係ないのです。
眼前の風景に、ふっ、と消えれば、それだけで終わりです。
ただ、そんだけ。
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
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こんにちは。
本日は13時ごろに起床いたしました豊田です。
起きて直ぐに洗面をしていましたが、剃刀で唇を切ってしまいました。
不注意、不注意。
妻が保冷材をタオルに包んでくれたので、当てていたら、治りました。
治ったというか、血が止まりました。
それから座布団を2枚ひいて、座禅を15分します。
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妻に言ったら、即、却下されましたが(笑い)
座禅中は、彼女が『花嫁のれん』を視聴している音が流れてきます。
それに加えて僕自身の脳内妄想やら、自我が落ちようとアレコレ思案して動いている様子が伺えますが、このアレコレしている自我くんが「ふっ」と消えていないといけない。
まあ、今日も全然、自然に成りきれませんでした。
座禅を終えてからは、ブラック珈琲と煙草を味わいながら読書です。
玄関脇で畑に生えた樹なんかを眺めながら、ふーっと、のんびりと目を通す。
と、千鶴さんが来て、悠聖を膝の上に乗せる。
「ちょっと今は読書中だから、待って、あとで遊んであげるから」と言うと、不平感丸出しで家へ戻っていく。
すぐに「うわぁああああん」という悠聖の泣き声が響き渡って、耳を突いた。
こちゃあどうも、罪悪感が、こころを掠めていきます・・・・・・orz
ブログを書き始めていると悠聖が笑顔満面で横へ這ってきた。
ドキッ!
「悪戯したらアカンぞ」と言っている傍から、障子を開けたり閉じたりとしている。
ちなみに家は、超狭くて、部屋数もないので、僕の部屋、というかPCがあるのは、日本間の縁側です。
悠聖が、障子を破りそうなので「ちぃちゃん! ちぃちゃん!!」と、呼んでいるのだが、全く反応がないので、遂に、ビリッと破きおった。
あーっ、と思って「こらっ、やぶいたらアカンやんかー」と怒っている。
千鶴さんが来たので「これ直してよ! ちぃちゃん来てくれやんで破れたやんかあ」
子供みたいなことを言っている、ダメ人間、だめまでありました。
そこでブチ切れた千鶴さんが障子を外してビリビリと破りだす!
おいおい、そんなむちゃな破り方したら、綺麗に貼れないではないかと思い、あーだこーだと言っていると、ハサミを持ってきて切り出したwwwww
いや、ハサミでは無理だろうと言っているのに、チョキチョキやっている。
僕は見かねて、工場へ障子を持って行くことにしたのだが、やってみると意外にというか、全然、やり方がわかんない。
まず工具というか、道具がどこにあるかもわからない。
一応、書いておくと、父親と祖父は『建具屋』だったので、障子と言えば、僕が、ここに生きているのは、障子と襖のおかげだと言えなくもないくらいに大事なものなのだ。
しかも、温厚な父親が、唯一、僕を叩いたのが、障子を破いたときだったのですよ。
まあ、お客さんのヤツだったから当たり前だけど・・・・・・orz
まあ、そんなことはいいとして、とりあえず刷毛で水を付けて、糊面を剥いでいきます。
その間も、千鶴さんが、悠聖を連れてきたり、戻しに行ったり。
あーだこーだと言い合ったり、罵り合ったり、煙草を吸いに行ったり。
と、他事三昧の僕達。
仲がいいのか、悪いのかwwwww
予想以上に面倒なので、もう、明日でいいかとなり、家へと戻ります。
最後の方は、ヘラで剥がすのが楽しくなって、私もやる、僕もやるとお互いにやっていたのだった(爆笑)
そんなバタバタ感満点の中、ブログの更新を始めています。
いつもより早く起きたのだが、全く意味がないではないかっ!
で、なんでしたっけ?
ああ、そうそう、新しい発見があったのであります。
これにはビビリますよ。
というか、たぶん、ドン引くかな(笑い)
あのですね・・・・・・。
ここに背面の自己というものがあります。
この背面の自己の中に、他者が生存しているのですよ。
実際にね。
この目に見えている他者というのは、実は、背中の後ろ側にもいるんです。
目に見えているほうは、まあ、なんというか、実体としての力はあんまり持っていないんですよねえ。
って、まあ、これは、ちょい行き過ぎ感があるのでやめておこう。
さて、そんなこんなで感情の消化もだいたい進んできましたので、色々ある中で『深刻』にならなくなってきました。
迷い、怒り、欲というものが、人間の中で、様々にあるわけですが、それが、私の動きではなくて、まあ、物質のような働きとして見られるわけです。
例えば、ビールを味わっているのは、もちろん欲ですが、この味わっている私が、だんだんと酔っ払ってくると失われますね。
そうして今度は、物質としてのアルコールが体内で、脳内の海馬を麻痺させて、私自身の意志とは無関係に機械的感情の発露を始めますね。
刺激と反応のロボットのように、本質むき出しの『動物』になるのです。
これがエコノミックアニマルなのですwwwww
まあ、だめまは、よく、これになっているので分かります(爆笑)
理性は完全喪失されて、もはや、ビールは、なんの快楽も与えなくなっているのです。
快楽のはずのビールが、苦しみに変貌しているのです。
これが欲望の境界線で、不必要な貪りなのであります。
つまり『腹八分である』ことが、迷い、怒り、欲に対して機能するのです。
拒絶するのも、貪るのも、どちらも離れなくてはならないというのは、これは、味わいが保たれているか、つまり、意識が参加しているかどうかが、問われているのであります。
私が飲まれなければ、どんだけ、飲んでもOKということです。
健康面は知りませんがね。
自己が麻痺に陥るということが、迷い、怒り、欲が、自己を喪失させる原因となっているので、中毒してはいけないということなのです。
それだから戒律があるわけですね。
だから自己が保たれた、つまり背面の自己がしっかりと立った上で、味わうのならば、それは瑞々しさ、清々しさを必ず伴うのであります。
「清々しさ」が無くなるまでに成らないように、欲の働きを抑制するだけですね。
欲はあって当たり前なんです!
なかったら、もう、この世にいないでしょう。
まあ、生きている限り、迷い、怒り、欲はあって当たり前ですが、それが、自分を乗っ取ったら負けということですよ。
自分が乗りこなしているのであれば、無問題なのです。
それを意識している、自覚できている場合は、あってもいいんです。
『一挙手一投足』という言葉がありますが、これが普段は、見失われているのですね。
これは「動作」だけではなく「感情」や「思考」の『一挙手一投足』もあるわけですが、これらを自覚するには、背面の自己が機能していなくてはならない。
この、背面の自己とは、宇宙や他者を照らし出す感受体、感光体なのだ。
今、目の前にある自然、事実は、実は、この人間の内部にあるのである。
外ではなく内なのです!
通常の常識とは、逆ですが、それが本当です。
外には心がある。
この心と自然を分離させているのが自我の働きの作用なのである。
この外の心と内の自然が合体すること、融合すること、愛し合うことを覚醒と言っているだけの事なのだ!
本来は、最初から、この感光版やら、感情遮断体やらが、機能しているのだが、自我に張り付いた真我の反映である心が、区分、差別された、自我の活動、肉体のみが自分だと思い込んで、社会教育(洗脳)によって、実際の、全一なる自己を見失っているのである。
ここの事実としての、眼前のリアルなる風景。
この風景の側が、自分を生きているのである。
最初ッから!!!!
その自分というのは、常に独りでありながら、この独りは、森羅万象と等しいのだ。
ですから、三千大千世界は一塵埃の中にあるのです。
あなたは、普段、あなたが認識しているところのエゴとしての私ではなくて、もっと偉大なる働きをする宇宙大の機構なのである。
○が宇宙だとしてその横に同じ規模の○があり、その○と○が接している点が肉体である個人としてのあなたなのである。
この点は、思量が及ばないほどの超絶巨大でもあり、超絶微小でもあるのです。
○○
8の字を横に倒すと、真ん中の線があるが、この線が、自我の正体ですよ。
左が自然界、右が心霊界で、これは相似しています。
この分裂した○と○が、意識の中で、ひとつになることが覚醒なのです。
実際は、この線は存在していないのであるが、この線があるお陰で、不思議に無量であるあなたが、この奇跡の世界を堪能できるのである。
この線の意味を、深く、考えてみてください!!!!
これが宇宙を貫き、時間を貫いているあなたの、真我の反映だ。
この垂直の光の元(魂)は、なんと、あなた自身の胸の奥に眠っているのである。
ですから、他者は背面にもいるのですwwwww
というか、実際、背面の他者こそが、あなたと人を分けている。
あなただけの感情なのである。
これを高次感情中枢と名づけた人がいる。
そして、これと、光としての自己が、同時に作用することで、あなたは迷い、怒り、欲を物質として捉えながら、これらを利用して自己を完成させることができる。
『純粋な私』を『自我の終焉』を達成できるのである。
それは、まあ、単に、僕が玄関脇で煙草を吸いながら、ふっと消えたということと全く同じことなのです。
大げさに書いたのに、これだけなのです。
なんかこう、いろいろと凄いことの様になってしまっていますが、書いていると比較と想像が入るので、そうなるのですが、事実としてのあなたを認識したら、あなたは、
「えっ、こんだけのこと??」と言うのです(大爆笑)
今、ある事実は、これは、誰も離れることが無く、差別も無く、単にあるのです。
地球は丸いというのと一緒です。
努力や修行とは、教えや宗教とは、無関係なのです!
目で見える太陽と惑星と地球と月は、これは、実は、あなたの中に、内側にあるのです。
不可視の太陽が、世界の、次元の、外側にある。
まあ宇宙空間に光を放つ恒星のように、我々は、存在している可能性があるんですが、このあたりは研究中なので、まだハッキリとはしません。
文字通りに、宇宙の惑星体が、アストラル体かもしれませんが、まだ未確認です。
でもね、言いたいのは。
これらの想像も含めて、存在する一切のものは、最初からあるのです。
雑草でも石ころでも、生きているもの一切は、あなた自身なのですwwwww
これらの最初からある、目の前の風景の側が、どんな次元であれ、あなたなのですよ!!!!
あなたが如来、自然、そのものなのです。
例え、7次元まで行ったとしても、そんなことは、関係ないのです。
眼前の風景に、ふっ、と消えれば、それだけで終わりです。
ただ、そんだけ。