豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

背面の自己と眼前の事実

2015-03-20 14:49:50 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。



こんにちは。

本日は13時ごろに起床いたしました豊田です。

起きて直ぐに洗面をしていましたが、剃刀で唇を切ってしまいました。

不注意、不注意。

妻が保冷材をタオルに包んでくれたので、当てていたら、治りました。

治ったというか、血が止まりました。


それから座布団を2枚ひいて、座禅を15分します。



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お寺に参禅した時は、普通の座布団の上に、円形の小さな座布団があって、アレに座ると背筋が伸びて、リラックスできたのだけれど、買ってみたいなあ。

妻に言ったら、即、却下されましたが(笑い)


座禅中は、彼女が『花嫁のれん』を視聴している音が流れてきます。

それに加えて僕自身の脳内妄想やら、自我が落ちようとアレコレ思案して動いている様子が伺えますが、このアレコレしている自我くんが「ふっ」と消えていないといけない。

まあ、今日も全然、自然に成りきれませんでした。


座禅を終えてからは、ブラック珈琲と煙草を味わいながら読書です。

玄関脇で畑に生えた樹なんかを眺めながら、ふーっと、のんびりと目を通す。

と、千鶴さんが来て、悠聖を膝の上に乗せる。

「ちょっと今は読書中だから、待って、あとで遊んであげるから」と言うと、不平感丸出しで家へ戻っていく。

すぐに「うわぁああああん」という悠聖の泣き声が響き渡って、耳を突いた。

こちゃあどうも、罪悪感が、こころを掠めていきます・・・・・・orz


ブログを書き始めていると悠聖が笑顔満面で横へ這ってきた。

ドキッ!

「悪戯したらアカンぞ」と言っている傍から、障子を開けたり閉じたりとしている。

ちなみに家は、超狭くて、部屋数もないので、僕の部屋、というかPCがあるのは、日本間の縁側です。

悠聖が、障子を破りそうなので「ちぃちゃん! ちぃちゃん!!」と、呼んでいるのだが、全く反応がないので、遂に、ビリッと破きおった。

あーっ、と思って「こらっ、やぶいたらアカンやんかー」と怒っている。

千鶴さんが来たので「これ直してよ! ちぃちゃん来てくれやんで破れたやんかあ」

子供みたいなことを言っている、ダメ人間、だめまでありました。


そこでブチ切れた千鶴さんが障子を外してビリビリと破りだす!

おいおい、そんなむちゃな破り方したら、綺麗に貼れないではないかと思い、あーだこーだと言っていると、ハサミを持ってきて切り出したwwwww

いや、ハサミでは無理だろうと言っているのに、チョキチョキやっている。

僕は見かねて、工場へ障子を持って行くことにしたのだが、やってみると意外にというか、全然、やり方がわかんない。

まず工具というか、道具がどこにあるかもわからない。

一応、書いておくと、父親と祖父は『建具屋』だったので、障子と言えば、僕が、ここに生きているのは、障子と襖のおかげだと言えなくもないくらいに大事なものなのだ。

しかも、温厚な父親が、唯一、僕を叩いたのが、障子を破いたときだったのですよ。

まあ、お客さんのヤツだったから当たり前だけど・・・・・・orz


まあ、そんなことはいいとして、とりあえず刷毛で水を付けて、糊面を剥いでいきます。

その間も、千鶴さんが、悠聖を連れてきたり、戻しに行ったり。

あーだこーだと言い合ったり、罵り合ったり、煙草を吸いに行ったり。

と、他事三昧の僕達。

仲がいいのか、悪いのかwwwww

予想以上に面倒なので、もう、明日でいいかとなり、家へと戻ります。

最後の方は、ヘラで剥がすのが楽しくなって、私もやる、僕もやるとお互いにやっていたのだった(爆笑)


そんなバタバタ感満点の中、ブログの更新を始めています。

いつもより早く起きたのだが、全く意味がないではないかっ!


で、なんでしたっけ?


ああ、そうそう、新しい発見があったのであります。

これにはビビリますよ。

というか、たぶん、ドン引くかな(笑い)


あのですね・・・・・・。

ここに背面の自己というものがあります。

この背面の自己の中に、他者が生存しているのですよ。

実際にね。


この目に見えている他者というのは、実は、背中の後ろ側にもいるんです。

目に見えているほうは、まあ、なんというか、実体としての力はあんまり持っていないんですよねえ。

って、まあ、これは、ちょい行き過ぎ感があるのでやめておこう。


さて、そんなこんなで感情の消化もだいたい進んできましたので、色々ある中で『深刻』にならなくなってきました。

迷い、怒り、欲というものが、人間の中で、様々にあるわけですが、それが、私の動きではなくて、まあ、物質のような働きとして見られるわけです。

例えば、ビールを味わっているのは、もちろん欲ですが、この味わっている私が、だんだんと酔っ払ってくると失われますね。

そうして今度は、物質としてのアルコールが体内で、脳内の海馬を麻痺させて、私自身の意志とは無関係に機械的感情の発露を始めますね。

刺激と反応のロボットのように、本質むき出しの『動物』になるのです。

これがエコノミックアニマルなのですwwwww

まあ、だめまは、よく、これになっているので分かります(爆笑)

理性は完全喪失されて、もはや、ビールは、なんの快楽も与えなくなっているのです。

快楽のはずのビールが、苦しみに変貌しているのです。

これが欲望の境界線で、不必要な貪りなのであります。

つまり『腹八分である』ことが、迷い、怒り、欲に対して機能するのです。


拒絶するのも、貪るのも、どちらも離れなくてはならないというのは、これは、味わいが保たれているか、つまり、意識が参加しているかどうかが、問われているのであります。

私が飲まれなければ、どんだけ、飲んでもOKということです。

健康面は知りませんがね。


自己が麻痺に陥るということが、迷い、怒り、欲が、自己を喪失させる原因となっているので、中毒してはいけないということなのです。

それだから戒律があるわけですね。

だから自己が保たれた、つまり背面の自己がしっかりと立った上で、味わうのならば、それは瑞々しさ、清々しさを必ず伴うのであります。

「清々しさ」が無くなるまでに成らないように、欲の働きを抑制するだけですね。

欲はあって当たり前なんです!

なかったら、もう、この世にいないでしょう。

まあ、生きている限り、迷い、怒り、欲はあって当たり前ですが、それが、自分を乗っ取ったら負けということですよ。

自分が乗りこなしているのであれば、無問題なのです。

それを意識している、自覚できている場合は、あってもいいんです。


『一挙手一投足』という言葉がありますが、これが普段は、見失われているのですね。

これは「動作」だけではなく「感情」や「思考」の『一挙手一投足』もあるわけですが、これらを自覚するには、背面の自己が機能していなくてはならない。

この、背面の自己とは、宇宙や他者を照らし出す感受体、感光体なのだ。

今、目の前にある自然、事実は、実は、この人間の内部にあるのである。

外ではなく内なのです!

通常の常識とは、逆ですが、それが本当です。


外には心がある。

この心と自然を分離させているのが自我の働きの作用なのである。

この外の心と内の自然が合体すること、融合すること、愛し合うことを覚醒と言っているだけの事なのだ!

本来は、最初から、この感光版やら、感情遮断体やらが、機能しているのだが、自我に張り付いた真我の反映である心が、区分、差別された、自我の活動、肉体のみが自分だと思い込んで、社会教育(洗脳)によって、実際の、全一なる自己を見失っているのである。

ここの事実としての、眼前のリアルなる風景。

この風景の側が、自分を生きているのである。

最初ッから!!!!


その自分というのは、常に独りでありながら、この独りは、森羅万象と等しいのだ。

ですから、三千大千世界は一塵埃の中にあるのです。

あなたは、普段、あなたが認識しているところのエゴとしての私ではなくて、もっと偉大なる働きをする宇宙大の機構なのである。

○が宇宙だとしてその横に同じ規模の○があり、その○と○が接している点が肉体である個人としてのあなたなのである。

この点は、思量が及ばないほどの超絶巨大でもあり、超絶微小でもあるのです。

○○


8の字を横に倒すと、真ん中の線があるが、この線が、自我の正体ですよ。

左が自然界、右が心霊界で、これは相似しています。

この分裂した○と○が、意識の中で、ひとつになることが覚醒なのです。

実際は、この線は存在していないのであるが、この線があるお陰で、不思議に無量であるあなたが、この奇跡の世界を堪能できるのである。

この線の意味を、深く、考えてみてください!!!!


これが宇宙を貫き、時間を貫いているあなたの、真我の反映だ。

この垂直の光の元(魂)は、なんと、あなた自身の胸の奥に眠っているのである。


ですから、他者は背面にもいるのですwwwww

というか、実際、背面の他者こそが、あなたと人を分けている。

あなただけの感情なのである。

これを高次感情中枢と名づけた人がいる。

そして、これと、光としての自己が、同時に作用することで、あなたは迷い、怒り、欲を物質として捉えながら、これらを利用して自己を完成させることができる。

『純粋な私』を『自我の終焉』を達成できるのである。


それは、まあ、単に、僕が玄関脇で煙草を吸いながら、ふっと消えたということと全く同じことなのです。

大げさに書いたのに、これだけなのです。

なんかこう、いろいろと凄いことの様になってしまっていますが、書いていると比較と想像が入るので、そうなるのですが、事実としてのあなたを認識したら、あなたは、

「えっ、こんだけのこと??」と言うのです(大爆笑)

今、ある事実は、これは、誰も離れることが無く、差別も無く、単にあるのです。

地球は丸いというのと一緒です。

努力や修行とは、教えや宗教とは、無関係なのです!


目で見える太陽と惑星と地球と月は、これは、実は、あなたの中に、内側にあるのです。

不可視の太陽が、世界の、次元の、外側にある。

まあ宇宙空間に光を放つ恒星のように、我々は、存在している可能性があるんですが、このあたりは研究中なので、まだハッキリとはしません。

文字通りに、宇宙の惑星体が、アストラル体かもしれませんが、まだ未確認です。


でもね、言いたいのは。

これらの想像も含めて、存在する一切のものは、最初からあるのです。

雑草でも石ころでも、生きているもの一切は、あなた自身なのですwwwww

これらの最初からある、目の前の風景の側が、どんな次元であれ、あなたなのですよ!!!!

あなたが如来、自然、そのものなのです。

例え、7次元まで行ったとしても、そんなことは、関係ないのです。

眼前の風景に、ふっ、と消えれば、それだけで終わりです。


ただ、そんだけ。