豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

すいみん、すいみん、すいみん、すいみん、睡眠不足w

2015-03-14 05:16:16 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。



おはようございます。

今朝はなんと午前3時半に起床した、というか、させられた豊田です。

悠聖(チビ)がギャン泣きするので、起こされました。

千鶴さん(嫁)に、泣き止むようにミルク作って欲しいと頼むが、遅いので起きていくと、おもちゃのブロックを片付けている・・・・・・。

ここで、怒り心頭に発する!

なぜなんだ!

なぜミルクを作る前に、他ごとをするのだ!!!!



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エニアグラムタイプ9なのか、お主は~!

優先事項というものが有るだろう、優先事項というものがと暴走w

優先事項とは、つまり、物事の順番のことなのだ。

と、思い始めるや、もう、頭は怒りに完全占拠され「もう起きる」と決意。

散々に、家族に当り散らしながら、洗面をします・・・・・・orz

だいたい悠聖が泣くからいかんと思ってしまい「このガキっ!!」と暴言を吐く。

理性的に考えようと思っても、沸いてくる沸いてくるド怒りパワー。

以前の出来事がフラッシュバックして、掃除も買い物もぜんぜんしてくれないじゃないか、なぜミルクは開けてから一月しかもたないのなら日付を書いておかないのか、その他、様々に沸々と煮立ってくるのであります。


全部人任せとは・・・・・・どういうバカなんだ僕は!?


そのあとも無視三昧で、座禅を50分しましたが、全く集中できるわけもなく、ぐるぐると怒りパワーと落ち着きのない心をさ迷っていました。

あっ、という間に時間は経ち、コーヒーを入れて、ポットが空だったので水を入れる。

読書に玄関へ出ようとすると、悠聖が追いかけてくるが、怒りに支配された僕は完全に無視、無視状態。

読書をしていても、またしても集中力に欠け、印象が残らない。

いつもは煙草とコーヒーを楽しみながら、至福のタイムなのだが、本日は荒々しく、なんにも味わわずに、飲んだり、吸ったり、読んだりです。

真っ暗な朝の中に、親子っぽい白猫とトラ猫が2匹、駆けていった。

白猫は前から見かけるが、トラ猫は初めて見る。


頭の中では、これは自分が人に頼りすぎているから怒ってしまうのだとか、だいたい幼児がいるのに睡眠を期待している時点でおかしいのだとか、本能的欲望が原因だから理性で対処しなければならないのだとか考えるのだが、そんなものは全く役に立たない。

なにしろ煮えたぎった怒りが、脳天を直撃しているのだからwwwww


この直の怒りが、なぜ、こんなに強烈に沸いてくるのか、原因は、己の中にあるに決まっているのだが、気が付かない。

6時まで寝たいのが3時半に起されたというだけで、ここまで怒るというのは、一体、僕という「ダメ人間」も遂に、極まるとこまできたのだろうか。

本能的なことに対処するのは、非常に難しいと感じる。

食欲、性欲、睡眠欲の内、今回は睡眠欲に対して非常に執着していることが判明。


食欲と性欲に関しては、ここのところ節制がうまく機能していて、見た目からして甘いものは、ほとんど食べていないし、お酒も飲んでいない。

異性に対する脳内妄想も極力避けられている。

この辺りは、うまくいっていると個人的には思うのだが、どうも睡眠欲は重症のようです。

よく考えたら「食う、寝る、やる」の中で、寝るの問題は、こういう風に欲望と捉えたことが全然なかった。

集中的なグルジェフワークが行われていた時は、みんな4、5時間しか寝ていなかったと書いてあるし、釈迦も「病人が、惰眠を貪るな」と言っている。

なぜ睡眠の問題を今までスルーしていたのか。

このブログでは目覚めの話を、散々書いているというのにwwwww

口だけ立派で行為の伴わない男「ダメ人間だめま」健在でありますね・・・・・・orz


寝起きに機嫌が悪くなるのは「睡眠欲」が原因だったのだ。

節制が、ここでも大切ということになるのだろうか?

食べるものは見た目を楽しみ、香りを楽しみ、印象深く飾り、味わって食べるとか、無言で食べるとか、様々に「いまここ」へ帰る方法がある。

また、性欲に関しては、自覚によって、自らの体内に「健全なる陽気」を巡らすことで、「いまここ」で慈悲を、他者や外面世界に見るという方法がある。


だが「睡眠欲」に関して何があるだろう。

思い出すのは「思い残さず短時間眠れ」というグルジェフさんの格言くらいだ。

この場合、短時間眠るという計画だと、悠聖くんの夜泣きで、更に短時間になる場合があるのだから、不意を突かれた場合のことを考えなければならない。

時間の問題ではなく、何らかの準備不足が問題なのだ。


7時間睡眠は普通に問題ないと思うのだが起床時に「不快感の表現」を抑えられないという「弱点」には強烈な問題がある。

主要な欠点に関係しているかもしれないくらいだ。

睡眠の質よりも、不意を突かれることに問題があるように感じる。

夜泣きに対して覚悟がないので怒ってしまったのだ。


僕はスケベであるとか、肥満であるという自覚はあったが、まさか、眠りに対して、これほど執着しているとは知らなかった。

毎朝ある嫁様との喧嘩も、呑んだ翌朝での落胆も、仕事前の憂鬱も、すべて「睡眠時間」に対する欲望が、阻害されていることに起因していたのかもしれない。

ある意味大発見だが、これに対して何が出来るだろうか。


計画生活では、4時間半睡眠にして、リラックスできるように、お風呂の時間や食事の時間を調整していたが、これは意味が無いことは判明している。

睡眠時間や質の問題ではないのだ。

だいたいにおいて「睡眠」が欲望だという認識が薄すぎた。

睡眠欲を自覚して戦うことが一切実践されていないのだから「怒り」に対処できない。

僕は睡眠については健康の問題としか捉えてなかった。


仏教では、何か、説かれていただろうか。


確か、目が潰れるまで眠らずに精進して、悟りに至った人がいたような。

彼は、釈尊の説法時に眠ってしまい優しく諭された。

体中に毒が回っている人が、毒を抜くことを後回しにして眠るだろうか的な感じだったかなあ(記憶あいまい)

彼は、釈尊が眠るように言っても絶対に眠らない程の気合で、精進に励んだ。

遂に、目が潰れて失明したのだが、精進のお陰で、悟りに至って阿羅漢になった。


現在の僕は、これに「弱い」

この本能的欲望に対して抵抗する力を何も持たない。

怒り心頭に発するなどという、一番、情けない姿を曝け出してしまったのだ。

何を言っても「すべてがパー」とは、このことだ(爆笑)


しかし、今までが全く想定外だったので効果的な策が思い浮かばない。

誰か詳しい人いません?w

アラカンの人のように、気合で精進の解決は難しいよね・・・・・・たぶん。


有名なお寺なんかで、座禅を何日も眠らずにやるのは「食う、寝る、やる」との格闘でもあるんだろうねえ。

まあ、実際は、苦行は意味ないけどねw

本来、差別無く、みんな救われてますから!


「怒り」があった。

それはそれで、もう、過ぎた。

今あるのは「思い」の中だけで、別に、いいもわるいもない。

あーだ、こーだ考えない。


ここは、例によって僕の『趣味』では大いなる汚点なだけであります。

事実は、そのように起こっただけで、悩まなければ無問題です。

雑念も怒りも、あって人間ですからね(苦笑)


しかしです。

意識して「叱る」のではなく「怒ってしまう」人を散々バカにしてきた僕なのです。

正確には、他人の言動に「怒らされて」いる人を軽蔑していたのです。

つまり、これは、現状の僕なわけですがwwwww


この問題に気が付いたのは初めてかも。

昔から寝坊で遅刻して、怒られるのはショッチュウだったのに、なぜに睡眠問題に気が付かなかったのか不思議。


確か、不意を突かれて起されたときは、怒っていなかった。

そのあとで「まだ3時だ」と認識して「もう少し眠ろう」と思う。

しかし、嫁様が対応してくれないと怒る。

依存体質。


いつもの朝でも起きた時点では怒っていない。

出勤までの時間がないのに色々と頼まれたり、自分の行動が阻害されると怒る。

人のことを考えない、単なる自分勝手。


時間が十分あるときはリラックスして無心になれる。


時間か!?

時間に対する余裕のなさ、拘りが強いのだろうか。

慌てること、急ぐことを嫌っているという側面もある。

僕は人から行動を急かされると怒る。

だからといって時間を忘れることはできない・・・・・・。

時間に管理された社会を生きているのだから、時間を無視できるはずもない。

じゃあ時間への拘りは関係ないと考えなくてはならないか。

まあ遅刻とか、よくあるしねー。

そんなに拘ってることもないはずだよ。

逆に適当なくらいだ。

適当だからこそ、急かされたりすると怒ってしまうんだろう。


ああ、これは、あれか!?

23時に寝て6時に起きる決まりを自分で作って、それに合わせていこうとやっていたというのが問題なのかな。

以前に「仕事はたくさん、早くしなければ」と拘り、それを阻害されると怒りが沸いてくるのを見たことがある。

そんな拘りを捨てるように意識したら怒らなくなった。


では、これは単純に、睡眠時間に対する拘りだろうか?

7時間睡眠とか、6時起床とか、座禅の時間とかを守っているのはいいことだ。

自分は急かされるのが嫌いなくせに、人を急かしているからだろうか?

依存体質は明確だなあ。

寝かしつけだって、ホントは自分でやれば済むことだもんね(涙)


どうも具体的対策が思い浮かばないが、何が、これを解決させるのだろう。

本能の突き上げが半端なくて、手も足も出ないなんて、屈辱的すぎるじゃないかあ!

本能的欲望に起因する怒りに、支配される人々を散々、軽蔑していた僕が、、、事実、こうなのだよ(爆笑)

なんという心の弱さだ。


分からないから千鶴さん(嫁)に聞いたりインターネット検索もしてみた。

身体疲労とストレスを睡眠でカバーしている。

睡眠時間だけじゃなくて、心と体の調整が大事なようだ。

お釈迦様やグルジェフさんが短時間しか眠らないのは、肉体や心理に対する厭離が達成されていたからではないだろうか?

無理せず自然に、短時間でよかったのだ。

思い残さず短時間眠るというのは、短時間睡眠に意味があるのではなく、思い残しがないところに意味があるのだろう。

今は睡眠に対する理解が必要だ。

これもアルコールや性欲と同じで、本能中枢に作用している。

アルコールは思考中枢、性欲は動作中枢を中和させるのだ。

アルコールは脳内記憶(海馬)の麻痺を起し性の発散は動作の停止と「無」の感覚を生じさせる。

睡眠は「感情の整理」に当てられると仮定してみよう。

僕は感情整理に難があるので睡眠(無感情)に対する執着がある。

それだから睡眠が妨害されることに怒り心頭に発している。

感情の不調和が性に作用し、睡眠に作用し、食事や、呼吸に、他者依存や時間執着との関係にも影響しているのだ。

これは、なかなかの推理。


感情問題を解決しないと現在を生きることが機能しない。

僕は内面に重みを感じていて、他者への温かみが欠けるのであり、思いやりが素直に入らないのである。


たとえば人格が『嘘』を生きている問題が、感情面に反映されて、睡眠、その他の、問題にまで発展しているのだろうか。


日常生活で、実際に、この問題に対処するには?

たぶん僕は、自分で思っている以上に感情で生きているタイプの人間なのだ。

気分屋なんだw


「内的考慮をしない」とグルジェフさんが言う。

見過ごされてきたのは、この感情に対するショックなのだ。

本能が直撃する速度の方が、理性が働く速度よりも圧倒的に速いことが問題である。

外側に出なくてはならない心が内に篭っている傾向が原因と見た。

篭っている心が内側で忍耐していてはストレス過多になるし、前面対応はできない。

サーリープッタさんなんて、後ろからいきなり殴られても怒らなかったらしいが、これは絶対に内面の辛抱ではないだろう。

三輪さんという芸能人が「理性で怒りを制する人が悟っている」と言っていたが、これは、己という感情、他者への依存があっては、絶対に不可能だ。

僕は100パーセント、平静でいられんwwwww


内心での忍耐は『嘘』の仮面を被っているようなものでしかない。

日常生活の中でも、真我に注意を移行させないとならないという発想が生まれる。

この「真我ちゃん」は心の動きには一切左右されない心の重心だが、ここに意識を置くというか、移行させる活動を開始してみよう!

それは自然な人間の喜怒哀楽から離れることになるかもしれないが、明らかに、離れているのが歴代の聖者たちじゃないか。

ラマナ・マハルシも殴られても怒らなかったらしいし、イエスに至っては、己の生命すら投げ出して、なお、人々を愛したのだ・・・・・・。

すごすぎw


人間的ではないイメージを沸かせて、また恐怖もあって、実践しようという意欲を削いできたところでもあるが、至福を基点にするのが最期かもしれない予感もある。

どうやって? という問題があるが(大爆笑)


感情面の対処は『真我の至福』であるこの心の重心・核心を日常で目覚めさせて、作動させ続けることである。

しかし、これは私自身が無になるということだ。

これには、さすがに、凄まじい抵抗感を感じてしまうwwwww


僕はどうして個人内に篭りたがるのだろう?


とにかく『眠れる核心』を作動させることで、人格と本質の融和を図ることが、感情面の、また、それにともなった性の調和を実現するに違いない。

それと共に、睡眠の問題も徐々に解決して、長時間、眠らずに済むようになる。

今のところ、ここにしか解決策を思いつかない。


そうなると自覚→本質→性ではなくて、自覚→真我→性が本当であり、ここを勘違いしているがために、調和が崩れていたということになる。

人格→本質

本質→人格

真我→至福

の三段階があったのかもしれない。

まだ実験段階だけど(笑い)


生まれ持った純粋な心(本質)ではなく、超越された不死なる真我こそが目覚めていなくてはならなかったのだ!

ここは、たぶんだよwwwww


人間的な味のある感情ではなくて、眠れる至福を機能させなくてはならない。


そうか、ニサルガダッタマハラジの、幸せになること幸せであること、これが愛のリズムだという言葉は、このことかもしれない。

真我の常時覚醒という、とんでもなく不可能そうな状態w

というか、夢のない状態w


睡眠中も起床中も胸の奥で眠っている真我を意識的に覚醒させようと努力することで、内に篭った本質と人格を、自分自体を離れなくてはならなかったのだ!

本質を生きるという発想が、本能の暴走を誘発していたのかもしれない。

我がまま、他者依存がここからくる。

人格VS本質ではなく。

ここに眠れる真我を覚醒させることで、内面自体を、滅することなのだ。

消失させることなのだ。


これが「主人だ!」

そうだ、主人とは真我のことだったのだ。

なんと、そうなると、やはり人生は夢のまた夢と捉えることなのだ。


夢ではないのだが、すべて夢のようだ。


真我を常に起すなどということが本当に可能だろうか?

とりあえず、様々に工夫してみるしかなさそうではある。


あっ、

目の前の事実を忘れて、長々と妄想垂れ流しを、失礼しました。

(ごめんw)